めんたねの技術をマジメにふざけて実践する
第二期催眠コミュニケーション初級講座終了
2008年05月07日 (水) | 編集 |

昨日、亀戸の商工情報センターで

第二期催眠コミュニケーション初級ワークショップの最終日(二日目)を

 終了しました。

この講座はとにかく、ワーク主体。

日常のコミュニケーションの中で、

相手ともめたり険悪な関係になることなく、

こちらの提案を質問の形を使って伝えつつ相手の持っている能力や可能性を引き出す。

そのための会話ワークをトコトンやります。

昨日は一日中そんなことをやっていました。

講座終了後のアンケートを読んだら

「またこの講座に参加したい!」

「ワークをもっと練習したい!」

というような要望がたくさんありました。

これだけワーク漬けにして、

さらにワークをやりたいと参加者が思ってくれるということは、

このワークの有効性を感じ取ってもらえたということかな。

うれしいことです♪

昨日は、PCとプロジェクターを使って、

会話ワークをやっている人の背後から、

その状況についての解説とか、

会話ワーク中、行き詰ったときのヒントとか、

そういうブロックサインみたいなものを出してみる、という

初の試みにチャレンジ!

札幌でやろうとおもったのだけど、

時間が足りなくてやれなかったやつです。

これはやっぱり2日間コースじゃないとやれないですね。

実際にやってみた感想はなかなか上々。

会話ワークの流れを周りで見ている人につかんでもらうために

非常に良さそうです。

的確な質問が投げかけられると、

建設的な方向、今まで相手が考えもしていなかったちょっと違う方向へ、

話題が流れていき、

それにしたがって、相手も前向きな新しい方向へと

興味関心を向けていく。

そんな様子が手に取るようにわかるワークになりました。

これはなかなかいいな。

望みがあきらかにならない悩みほど手間がかかり、

その種の悩みを扱うときには、

心理的反発を引き起こさないように配慮をしつつも、

適度なところで相手の話を切ってしまって、

質問を使って他の方向へと話題を移していく。

講座終了後のアンケートを読むのが

毎回、楽しみなのですが、

今回、一日目と二日目の間の期間に出した宿題を

やったか、やらなかったかで大きな学習効果の違いが出るから、

無理矢理にでも宿題をやらせるシステムを導入したらいいのでは?

という意見がありました。

それはいいかもしれないなあ。

こうして、めんたねはさらにスパルタ教育の色合いを強めていくのであった……

参加してくださったみなさん、ありがとうございました!

要望されている続編の作成に早急に取り掛かります!

望みを捨てた私
2008年04月17日 (木) | 編集 |
ここ数日、せっせと北海道であさって4/19(土)にやる予定の
めんたね教育講座の資料を作っています。

告知の打ち方が、
「勉強しない子には『勉強するな』と言え!」
だった気がするので、
きっと「逆説(パラドックス)」のお話は入れないと、
「看板に偽りあり、ジャロに言いつけてやる!」
となりそうです。

ですから、その話を入れます。

すると、それに付随して説明することもたくさん出てきます。

ワークをやる時間も含めてざっと計算をしてみたら、
もうそれだけで、3時間でおさまるかどうかという
なかなか、厳しい状況です。

本当はここに今ぼくの中では一番熱い
「相手の望みに興味を持ち、その相手の望みに沿う」
という「望み」の話を入れておきたかったのですが、
どう考えても話す時間がありません。

そういうわけで、今回の教育講座では
ぼくは「望み」を捨てます。
ああ、ごめんよ、「望み」。

最後のまとめのところで、
ほんのちょっとでも「望み」についての話もできるといいのだけど。
教育講座の癖して、妙にテクニカルというアンバランスな講座になりそうです。
マニア向け超上級教育講座だ。
とにかく、30回ぐらいは
「この技術は使い方を間違えるとお子さんを壊しますからね!」
と散々脅してまわる恐怖の講座にしよう。


今回はたまちゃんのお知り合いの方、多数参加、
セラピストとかコーチとか占い師さんとか、
とにかく玄人さんてんこ盛りの会であろうということで、
まあ、技術的な話が多くてもなんとかなるであろう……


東京でやる教育講座はそんなとんがった話じゃなくて、
もう少し、のんびり癒され系で作ろう(笑)

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邪悪な気配
2008年04月16日 (水) | 編集 |
今やっているメイン講座の名前は
「催眠コミュニケーション入門講座」
「催眠コミュニケーション初級ワークショップ」(キングメイカー養成塾)
なのですが、
「催眠コミュニケーション」ってどうもネーミングが悪い気もする。

どうも邪悪だ。
不穏で危険なムードをかもし出している。

目から悪のビームをビビビッと発射して、
周りの人間をマインドコントロールしてウハウハなイメージ。



実際はそんなのありえないんですけど(笑)

相手を思い通りにしよう、とか
そういう邪な気持ちを捨てる。
そして、世界も目の前の相手もなるようにしかならないのさ、と開き直る。
そのとき、はじめて目の前に相手に対してわりと強力な影響力を持てる。

そういうなんだか、よくわからない複雑な構造について
理屈っぽく説明したり、実際にそのコミュニケーションを練習したりするのが、
催眠コミュニケーションの実態です。




本来、内容は極めて善良なものであるはず。



ちなみに親子間の教育バージョンの場合は、
ほぼ同じ構造のことを教えても、
「めんたね教育講座」とか
「モテママレッスン」とかそういうほのぼのしたネーミングになるため、
邪悪さがぐっと減る。



きっとめんたね経由で「催眠」に興味を持って集まってくる人たちには
極めて怪しい腹黒い人として、
めんたねEducationとかスカイプによる無料教育講座とか
「教育・子育て」のキーワードで集まってくる人たちには
もう少し明るく朗らかないい人として
ぼくの姿は映っているのではないかなあと思ったりします。



まあ、お寿司におけるわさびのように、
ちょっと邪悪な気配をピリリと入れておくのも
悪くはないのかもしれないなー。

いずれにせよ、内容は一緒でもネーミング一つで
印象は本当にガラっと変わってしまいますね。

よーくかんがえよー♪なまえーは大事だよー♪


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マインドマップの利用目的2
2008年04月14日 (月) | 編集 |
今日、中ニの生徒に
池田晶子「帰って来たソクラテス」
を読んでもらいました。
ソクラテスがなぜか、現代日本に蘇ってきて、
今の色々な日本人達と得意の対話を行うという設定の本です。

今日は、「会社や社会に縛られている」と感じているサラリーマンとソクラテスが
自由とか縛られるということについて討論している章を読みました。

内容は哲学的な問題を含んでいるので、
結構難しいのですが池田晶子さんは
子どもでもわかるような普通の言葉で哲学を語るので、
ちょうど教材として使いやすかったです。
選んだ理由は家を出る前に、
この前、古本屋で200円ぐらいで買ったその本が
まだ読まずに転がっているのを見て、
あ、これ、ちょうど国語の教材にいいかも。
試しに使ってみよう!
っていうかなり行き当たりばったりなものですけど。

これを読んだ後に討論の流れをマインドマップにまとめた上で、
それを参考にして、その内容の要約を文章にするというのが、
彼への課題です。

文章を読むのに15分、
ウンウン言いながら、セントラルイメージを描くのに1時間15分、
枝を伸ばし始めたときには既に指導から1時間30分が経過してました。

まあ、それでいいんだと思うんですよね。
彼にとっては相当、骨のある課題ですから、
読んだ内容をある程度、整理して、
そこに立ち向かう覚悟ができるまでに1時間15分かかったということ。
普通の人はその1時間15分は無駄と感じるのかもしれません。
しかし、ぼくはその1時間15分の投資があったからこそ、
その後、彼は枝を伸ばして自分なりのまとめをすることができた、と思っているし、
今後もこのテーマに対して積極的にコミットすることになるとも思っています。

とっつきにくい難問にぶち当たったとき、
とりあえず、色々と落書きをして、
手を動かしながら時間をつぶしているうちに、
ふっと解決の糸口が見えてくる。
それまではあきらめずにとにかく考え続ける。
いや、意識的に考えなくても無意識は勝手に考えるから、
とにかく、テーマに関連しそうな落書きをして、
手だけは動かし続ける。

将来、彼がマインドマップを使おうが使うまいが、
それは全然どっちでもいい。
ただ、目の前にある難問に対して、
とりあえず、一見、無駄に見えても、
手を動かして触り続けておく。
すると、いずれ道が開けてくる。
それまでは、ちょっとずつ触りながら、待っていればいい。

そういう頭の使い方を伝えたいとは思っています。

今のところ、そういうことを体感してもらうために
マインドマップを指導に使うのは便利だなあと感じています。
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マインドマップの利用目的1
2008年04月14日 (月) | 編集 |
ぼくには伊藤賢さん(賢ちゃん)と倉橋竜哉さん(たつやん)の
2人のマインドマップインストラクターの友人がいます。

日常的にマインドマップを使いこなしているインストラクターの友人がいるというのは
やはり、影響力が大きいもので
自分自身も自然とマインドマップを使うようになります。

ここ2年ぐらいは、
それまでに比べて圧倒的にマインドマップを有効利用している気がします。

その一番の理由は、
「それまで以上に効果を体感できるようになったから。」
これにつきるでしょう。

マインドマップのような技術を眺めるとき、
「やり方」と「そのやり方でやる理由・目的」の2つの項目を
考えてみることができます。

最初はとりあえず、やり方から入ってみて、
ずーっとその「やり方」に沿って使ってみる。
すると、あるとき、
「ああ!このやり方というのはこういう目的のためにあるのか!」
と体感できる瞬間が来る。

その結果、その「やり方」を利用することによって達成されるメリットを
実際にはっきりと感じ取ることができるようになるので、
その「やり方」を続けるモチベーションがぐっと上がります。


きっと、人によってマインドマップに感じているメリットというのは
色々なのだろうけど、
僕の場合は、マインドマップを書くことはある種の儀式です。
こういうことを言うと完全に怪しい人ですけど。

マインドマップを描くときには、セントラル・イメージといって、
真ん中にそのマインドマップの主題に関わる絵から描き始めます。

あれが儀式の始まりを告げます。
セントラル・イメージにはなるべく手間暇をかけて、
色々とインパクトのある面白い絵、
人が見たら笑い出しそうな絵、
とにかく、興味を引きそうな絵、
そういうものを描くほうが効果が高い。

儀式というのは派手にわかりやすくやるほど、
儀式としての効果が高くなります。

セントラル・イメージを書き始めたとき、
ぼくは自分自身に自然と宣言をしています。
「今から、この問題について考え始めますよ!」
多くの人はある問題について、考えようとしたとき、
いきなりフルスロットルで、頭を回転させることはできません。
しばらくは、まだ、頭が本調子で回転しないのだけど、
とりあえず、ずーっと、考えなきゃ、考えなきゃって思っているうちに、
徐々にその問題自体に没頭し始め、
色々なアイディアがわいてきたりします。

この出だしの時間がつらい。
頭の調子がのってくるまで、その問題について考え続けるのが
結構苦痛なんです。

マインドマップを描く場合、
「セントラル・イメージを何にしようかな?」
と考え始めた瞬間から、
頭はその問題について考えることを宣言しています。
でも、とりあえずはいきなり、本題に入るのではなくて、
絵を描くわけですね。

ここである程度、時間をとることが大変効果的だとぼくは思っています。
絵を描いているときに段々と、
「早く枝を伸ばしたいなあ。
 このキーワードは絶対に中心近くに置いておきたいよな。」
なんていうようなことを、自然と考え始めてしまいます。
でも、そこでもう少しガマンして、楽しい絵を描きます。

まあ、ガマンしきれなくなったら、
すでにそれは頭のエンジンにスイッチが入ったわけだから、
セントラル・イメージはそこそこにして、
枝を伸ばし始めてもいいわけなんですけど。

逆に枝を伸ばしたい気分になるまでは、
いつまでもセントラル・イメージに手を入れて
お絵かきを続けます。
ここは、本当に子どもの落書きと同じです。
こうやってお絵かきをしている間にも
無意識的なレベルでは、
その問題について少しずつ色々なことを考え始めます。
頭のエンジンをアイドリングして温めているような感じ。
そして、エンジンが十分温まったサインは、
「早く枝を描きたい」
という気持ちの高まりだとぼくは捉えています。

そうやって、一番つらく、考えるのやめてしまいやすい
考えはじめのアイドリングの時間帯をやり過ごす。
そのための儀式がセントラル・イメージを描くことだと思っています。

また、時間と手間をかけてセントラル・イメージを描いていくと、
徐々にその絵に対して思い入れが生まれます。
愛着がわくんですね。
そうすると、
「せっかく、こんなに時間をかけてセントラル・イメージを描いたのだから、
 このマインドマップをしっかり完成させて、そこから色々なものを得たい!」
という気持ちが盛り上がってきます。
必死の思いで口説き落とした彼女には思い入れが強くて、
別れたくないという気持ちが強くなります。
わかれてもなかなか忘れられない。
逆に、なんとなく、成り行きでほいっと付き合ってしまった彼女には、
あまり思い入れもないために、またアッサリ別れやすい。
これと同じことだと思います。

うーむ。我ながらひどいたとえだ。
もう少し、ましなたとえはないものか?

まあ、そんなわけで、
ぼくはセントラル・イメージ至上主義者なのです。
セントラル・イメージ原理主義派と言ってもいいでしょう。

「セントラル・イメージを丁寧に時間をかけて面白く描けば救われる。」



マインドマップは短時間で効率的な学習を促進する、という考え方もありますが、
ぼくはあまりそういう面は重視してません。
あまりというか、まったく重視してないか。

マインドマップはなるべく時間をかけて描きたい。
その描くのに費やした時間の分だけ、
その自分の意識だけではなく、無意識も
そのテーマについて考え続けていてくれる。
だから、より深く、きれいに整理された形で頭の中で情報が捉えなおされる。
そんな風に考えています。

実際、日常生活の中でもある解決したい問題について、
「どうやったらうまくいくか?」
ということを毎日、ちょこちょこと断続的に考え続けていると、
ふと、そのことを忘れてしまったときに、
突然、ポンっと
「あ!これやってみよう!」
ってアイディアが降ってきます。
でも、その前に断続的に考えている時間を取ってないと
アイディアは降ってきません。

きっと、断続的にチョコチョコと考えている期間、
その考えている真っ最中の時間以外も、
無意識的なレベルで勝手に頭が働いていて、
解決案を模索してくれている。
それが、突然、ポンと降ってくる。


マインドマップを描くこと、描いたマインドマップを再度眺めることで
そのアイディアが降ってくるために必要な
「断続的に考え続けている時間」
を取るというのがぼくのマインドマップを描く大きな目的の一つです。
セントラル・イメージにこだわるのは、
セントラル・イメージがお気に入りになると、
そのマインドマップを何度も見返しやすくなるからです。
人にも見せて自慢するし(笑)
とにかく、描いたマインドマップに再度触れる機会を最大化する。
これが重要なわけです。

だから、ぼくは一枚のマインドマップを書くのに
多分、平均2〜3時間はかけます。
別に長い時間をかけようと意識しているわけではないのだけど、
自分のペースで描いていくと自然とそうなります。


まあ、こんなのんびりしたやり方は、
今のぼくのライフスタイルだからできるのであって、
激務のビジネスマンとかには向いてないのかもしれないけど。

ぼくにとってマインドマップを描くことは
茶道のお手前に出て、
心の平穏を得る、みたいな贅沢と
似たような感覚なんでしょうね。


ほら、やっぱり儀式だ。
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先生的体質
2008年04月13日 (日) | 編集 |
教育業、先生業を長いことやっていると、
自然とそういう体質が自分に定着する。

昨日、あなみさんと彼が大学で持っている授業のクラスについて
話をしました。

昨年から、あなみさんは大学の講師として、
授業を持って生徒を教えています。
昨年一年で、あなみさんの授業は面白いと評判になったらしく、
今年は人気授業として定員一杯まで人が集まり、
成績順で足切りするとか。

ぼくは、その話を聞いて、
自分のことでもないのに大変うれしくなって、
あなみさんにその件について色々聞いたのだけど、
あなみさんからしてみると、
生徒が増えると諸雑務が増えてめんどうなんだ、と
結構、渋い顔をしていました。

ぼくだったら、人気授業になったら
手間が増えても、ついついうれしくなってがんばってしまうでしょう。

この辺が体質の違いなんだろうなあ。
先生的体質というのか?

そんな話題になったとき、あなみさんが面白いことを言ってました。

「あれよね。
 君の方が、俺よりも先生、生徒の関係において東洋的だよね。
 君は師から学ぶということを重視するけれども、
 俺は考えてみるとあまり師に当たる人がいないかもしれん。」

確かにそうなんだよなあ。
以前、内田樹の「先生はえらい」という本について
確か日記を書いたのだけれども、
あそこで語られている師弟関係というのは
大変、東洋的な関係であって、
弟子は師から何をもらえるのかわからない。
それでも、弟子は師についていく。
その結果、弟子は師から色々といじめられて、
結果として、弟子は自分のそれまででは理解できない一段大きな枠組みを、
手に入れることができる。

アドラー心理学の野田さんなんかも、
師は弟子をいじめる義務があり、
弟子は師にいじめられる義務がある。
それが師弟関係だ、というような趣旨のことを
以前、ブログで書いていた気がしますが、
それも同じことを述べていると思う。

そして、この師弟関係の枠組みは非常に東洋的なんですね。

ぼくが、先生に対して抱いている敬意も
完全にこれと同じだと思います。

そのような師であるためには、
やはり師たるべきあり方や不断の努力というものが必要になり、
それが滲み出した結果、自然と弟子がつく。
あなみさんが大学で人気講師となったのは、
あなみさんがそういう種類の師となったことの一つの表れであり、
それがぼくにとっては大変うれしい。
ぼくは基本的にそういう種類の本物の「師」というものが大好きなので。
きっと、体が勝手に反応する。
そういうことなんじゃないかなあ、と思いました。

なんでこういう師弟関係を自分は好きなのだろうか?
そう考えてみると、ぼくは昔から先生というものに
目をかけてもらえることが多くて、
(逆ににらまれることも多かったが、そういうことはなぜか忘れるようにできている)
先生というものは、自分を育て、伸ばしてくれる存在だと
思っているからだと思います。

時々、妙にぼくを気に入ってくれて、
とても高く評価してくれる先生が出てくる。
やはり、そういう種類の期待には体が敏感に反応するもので、
そういう先生のことを大変好きになる。

この好きになるというのは不思議なもので、
はっきりと「好き」という意識がないこともある。
うるさいことばかり言うし、怖いし、目の前に出ると緊張するし、
できれば避けたいのだけど、
でも、この先生から逃げてはいけない、
そういう感覚が自分の中にあって、
なんだかんだその先生の言うことを文句をいいながらも聞いている自分がいる。
そして、時間が経って考え直してみると、
「ああ、自分はあの先生のことを好きだったのだな」
そういう風に気づくこともあります。

そもそも、完全に師弟関係にあるときには
好きとか嫌いとかそういう意識はないことのほうが多いかもしれません。
理屈を越えて、師は師なんだよな。

そういう種類の先生からは、
その先生が教えてくれる知識や技術だけではなくて、
その先生の立ち居振る舞い、物事に対する姿勢、世界の捉え方、考え方など、
その先生の生き様自体から影響を受けます。

ぼくは小学生・中学生・高校生・大学生・社会人になってから、
それぞれ、そういうような先生を持って生活してきました。

それを子どもの頃から繰り返しているので、
体の癖になっているんでしょうね。
逆に自分にとっての師がいない時期というのは、
なんだか、自分が傲慢な人間になっていくような気がして、
どうも落ち着かない。

今は目の前にはいないし、
実際に会ったこともないミルトン・エリクソンを
頭の中で一番の師とおいているのでしょう。


ぼくにとって本当にモノを学ぶというのは
知識をコレクションすることではなくて、
人間としてのあり方に影響を受けることだったりします。
だから、多分、普通の人が考えているよりも
ぐっと宗教的行為に近いものとして
「教える」という行為をみているし、
「師弟関係」というものを捉えています。
「親子関係」というのもそうとう宗教的行為ですね。
子どもは親のことを人生、最初の師として、
無条件に受け入れ、知らず知らずに真似をして育ちます。


ということは、あれかな。
人生最初の師である親が、いい師、いい先生として振舞える人だと
その子どもはその後の人生で、「師」に対する
無条件の信頼感のようなものを持てるようになる。

その結果、あなみさんのいう東洋的師弟関係を持ちやすくなる。



ちなみに、
スポーツ選手として大成するような人とかは
ほぼ、決まってみなさん東洋的師弟関係の弟子に入ることが上手な人らしい。

以前はスポーツ関連の実用書、今は女性向け自己啓発書の実用書の
編集をやっているぼくの知人がそう言っていました。

逆に自己啓発関連で会う著者達は、
謙虚な姿勢がなく、頭だけな感じの人も多くちょっとね……って感じらしい。
確かにスポーツっていうのははっきりと目の前に結果が出る世界だから、
謙虚にならざるを得ないのかもしれない。



で、結論。
だからぼくはあのヒップホップのMIWA先生を崇拝し、メロメロだということなのだな!
そして、シャラポワラブなのです!
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夏まで少し働きます
2008年04月12日 (土) | 編集 |
スケジュール管理能力が極めて低いぼくは、
自分のスケジュールがよくわからなくなってきました。
そういうわけで、ちょっと書き出してみる。


■■4月〜7月にかけてのめんたね講座予定■■

4月19日(土) (教育)めんたね教育講座(北海道)
4月20日(日) (初級)催眠コミュニケーション初級講座(北海道)

(以下、東京)
4月26日(土) (入門)第四回 催眠コミュニケーション入門講座
4月27日(日) (誘導)第一期 本当のエリクソン催眠誘導講座 2日目

4月29日(祝) (初級)第二期 催眠コミュニケーション初級講座 1日目

5月3日 (土) (中・上級)エリクソン読書会
5月4日 (日) ★★ おやすみ♪ ★★
5月5日 (祝) ★★ おやすみ♪ ★★
5月6日 (祝) (初級)第二期 催眠コミュニケーション初級講座 2日目

5月10日(土) (中・上級)エリクソン読書会
5月11日(日) (誘導)第三期 本当のエリクソン催眠誘導講座 1日目

5月17日(土) (中・上級)エリクソン読書会
          (入門)第五回 催眠コミュニケーション入門講座
5月18日(日) (誘導)第二期 本当のエリクソン催眠誘導講座 1日目

5月24日(土) (中・上級)エリクソン読書会
5月25日(日) (誘導)第一期 本当のエリクソン催眠誘導講座 3日目

5月31日(土) (中・上級)エリクソン読書会
6月1日 (日) (初級)第三期 催眠コミュニケーション初級講座 1日目

6月7日 (土) (中・上級)エリクソン読書会
6月8日 (日) (初級)第三期 催眠コミュニケーション初級講座 2日目

6月14日(土) (中・上級)エリクソン読書会
6月15日(日) (誘導)第二期 本当のエリクソン催眠誘導講座 2日目

6月21日(土) (中・上級)エリクソン読書会
6月22日(日) (誘導)第三期 本当のエリクソン催眠誘導講座 2日目

6月28日(土) (中・上級)エリクソン読書会
6月29日(日) ★★ おやすみ♪ ★★

7月5日 (土) (初級)第四期 催眠コミュニケーション初級講座 1日目
7月6日 (日) (初級)第四期 催眠コミュニケーション初級講座 2日目

7月12日(土) (中・上級)エリクソン読書会
7月13日(日) (誘導)第二期 本当のエリクソン催眠誘導講座 3日目

7月19日(土) (中・上級)エリクソン読書会
7月20日(日) (誘導)第三期 本当のエリクソン催眠誘導講座 3日目



ふーむ……珍しく、少し働き者な感じがする。
土日祝日のお休みは3日か。
とはいえ、最近、家庭教師がだいぶ暇なので、
きっと世間のサラリーマンとかよりもずーっと楽なのであろう。
っていうか、家庭教師は最初から楽なので、
そもそもあんまり仕事している感じがしないのだが。



予定通りであれば、この後、いったん、夏休みに入って地下に潜伏。
8月一杯ぐらいで本を書き終わらせる予定。
9月からは再び、講座などをボチボチやる、と。



どこかで、また昨年同様、二泊三日ぐらいで、楽しい夏合宿をやりたい。
海じゃ!海!
それまでは遊ばずに黙々とお仕事するのです。



平日に講座の告知をしたり、雑務をこなしたり、
メルマガを書いたり、
講座内容や資料の作成をしたり、
講座用とかインプットのためのお勉強をしたりすることを考えると、
なかなか、忙しいのかもしれないなあ。

毎週月曜の夜あたりにも勉強会らしきなにかをやってくれ、
という声があった気もするのだが……
その予習をやる時間的余裕があるかどうかが自信がない。

あ、7,8月の夏休みにそれはやるか。


メリハリをつけるために、平日の毎週火曜日はお休み!仕事はしない!
とか決めて休日を意図的に作った方がいいのかもなー。


あと、東京でも普通に定期的に教育講座をやろうと思っていたのだけど、
一体、このどこにスケジュールをねじ込めばいいというのだろうか……?
時々、教育講座をやって体を浄化しないと、
怪しさ全開のセミナー講師になってしまう(笑)



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催眠コミュニケーションしろ!
2008年04月08日 (火) | 編集 |
今、ぼくが一番、力を入れているのは、
催眠コミュニケーションです。

まあ、催眠コミュニケーションといってもなんのことやら、
さっぱりわからないでしょう。

さまざまな要素が催眠コミュニケーションにはあるので、
一言では説明しにくいのですが、
ものすごい簡単に言うと、

「会話の相手の心理的反発を引き起こさないよう、
 特殊なコミュニケーションを用い、
 相手のスムーズな変化・成長を促す。」

ということになります。

心理的反発のことを心理療法の世界では「抵抗」などといいます。
そして、催眠コミュニケーションは、
この「抵抗」を上手にかわしたり、あえて利用したりして、
コミュニケーション上の主導権を握り、
相手の考え方と実際の行動を変化させます。

つまり、
催眠コミュニケーション=「抵抗操作」の技術
そう考えていい。



別に催眠コミュニケーションはトランス誘導をして、
相手をトランス状態に入れるわけではありません。

日常生活の会話の中でトランス誘導を始めたら、
それはあからさまに変な人ですから、
あんまり使えないわけです。
それよりはトランスを用いず、
暗示的メッセージなどを利用して相手を変化させていく
催眠コミュニケーションのほうがよっぽど実践的で、
非常に、非常に、非常に!役に立つ!



……でね。

この催眠コミュニケーション入門講座を4/26(土)にやるのです。
ちなみに参加費1000円。ほとんど、タダ同然。
内容はかなり面白いと思います。
秋頃に「3時間でわかるミルトン・エリクソン」として、
この講座を最初に開いたときには
多くの参加希望者が殺到し、
参加した人たちは大変喜んでくれました。


それなのに……

それなのに……現在、まだ、参加申し込み者1人。

一方、6万円もする催眠誘導講座は参加希望者が殺到。
催眠誘導は日常でなんの役にも立ちませんよ、と
日記でも言って回ってるにも関わらず!


みんな、間違ってる!


これはひょっとして、参加費が安すぎて
内容が大したことないとか思われたりしているんだろうか?
だったら、思いっきり値上げしてやる!

そのぐらいの憤りを感じる今日この頃です。

いいですか。
ぼくが面白い、役に立つ、そういったら本当にそうなのです!(超高圧的)
役に立たないものは役に立たない、とハッキリ言うし、
つまらないものはつまらない、とハッキリ言うのです。
ダメなものはダメ、とハッキリ言うのです。

インディアン、嘘つかない。オタニコウジ、嘘つかない。

この入門講座はめんたねの講座のラインナップの中でも
相当、オススメメニューなんです!

他の講座は別に来なくてもいい!
(いや、来てくれるとうれしいけど。)
でも、この入門講座、こいつは来ておけ。
これに来ないのは人生の損失ですよ!


というわけで……怒りをぶちまけてみました(笑)
本当に来た方がいいと思うよ。面白いから。

そうですよねえ?既に昨年秋に「3時間でわかる〜」に参加したみなさん。
(これで、「いや、あれは出る価値ない」とか言われるとへこむが。)

もう、ぼくはキレ気味なので、
次回から入門講座も1000円→5000円にしてやる!
(本当にそうしたら、参加希望者が増えそうでそれはそれで怖い。
 市場の原理って一体どうなってるんでしょう?)

ま、そういうわけで来てね♪

あと、催眠コミュニケーション初級講座という丸2日間をかけて
催眠コミュニケーションを徹底トレーニングする講座も4/29にやりますよ。
こっちも、おすすめですが、とりあえず、入門講座に出てみて、
こりゃ、面白い!と思ったら初級もやってみればいいさ。
入門講座に比べればお値段も高いしね。

とにかく、入門講座に出ろ!話はそれからだ!以上。






★第4回 催眠コミュニケーション入門講座 4/26(土) ←超オススメ!
〜2時間でわかるミルトン・エリクソン〜
会場:江東区商工情報センター

詳細・申し込み→ http://mentane.net/workshop/pg78.html



★催眠コミュニケーション初級講座
〜キングメイカー養成塾〜

○第二期
2008年4月29日(火) 10:00〜17:00 A(1日目)
2008年5月6日(火) 10:00〜17:00 B(2日目)
会場:江東区商工情報センター

○第三期
2008年6月1日(日) 10:00〜17:00 A(1日目)
2008年6月8日(日) 10:00〜17:00 B(2日目)
会場:江東区商工情報センター

詳細・申し込み→ http://mentane.net/workshop/pg30.html



■江東区商工情報センター
JR総武線「亀戸」駅北口より徒歩2分
東武亀戸線「亀戸」駅より徒歩2分

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第二回 無料教育相談 in Skype 2
2008年04月07日 (月) | 編集 |
今日の無料教育相談で力を入れたのは、
「リソース発見」作業。

「リソース」とは簡単に言えば「役に立つもの」のこと。

たとえば、ぼくが、飲み会を開こうと思ったとする。
そのとき、

・近所にある安くておいしい居酒屋
・声をかけたらやってくる友人・知人
・連絡をするためのツールとして携帯電話やメールやミクシイなど
・楽しい会話をして周りの人を喜ばせる能力
・そつなく集金を済ませ、会計を済ませる事務処理能力
・手元にあるそのお店の2000円割引券
・飲み会をやるための時間(暇)
・お酒を飲める健康な体
・メニューを手際よく決めて、場にストレスをかけない手際

などなど……

飲み会を開くために役立つかもしれない全てのものを「リソース」と呼ぶわけです。
欠点だってひっくり返して上手に生かす方法を見つければ、
それは立派なリソースになってしまいます。


今回の教育相談の場合は、

「今回のお母さんの望みをかなえるために、
 役立ちそうなリソースはどのようなものがありますか?
 みなさん、今のお母さんの話を聞いていて、
 自分が見つけたお母さんの持っているリソースを
 1人ずつ、順番に伝えてあげてください。」

こうやって、参加者に意見を求めました。
すると、参加者がそれぞれ自分の発見したリソースを
相談者に伝えます。


リソースというのは不思議な力があって、
それを発見して拾い続けているだけで、
今まで問題であったことが問題ではなくなってしまったりします。

つまり、リソースをたくさん拾い集めることで、
こんなやり方もあるかも、あんなやり方もあるかも、と
道が色々と見えてくる。
その結果、問題そのものを直接的にそんなに深く扱わなくても
自然と、解決のためにこんなことをやってみようかな、という
アイディアがたくさん出てきます。


さらに、リソース発見の作業はやっていて楽しい。
これは大変に重要です。
多くの周りの参加者が、1人の相談を持ちかけている人やその家族の中に
リソースを見つけ出してはそれを報告する。
ダメだしの反対で、よいところだしになるので、
やる方もやられる方も気分がいい。
その結果、集団全体の意見が
相談者に対してより強い影響を持ち始めます。
相談者を前向きに承認して受け入れる空間ができあがる。
ほめられたり、既に持っている能力を指摘されたりしたら、
普通、みんなうれしいですからね。


ぼく一人が、「元気活発でエネルギーあふれるお子さんですね」と伝えるよりも、
5人ぐらいの参加者がそれぞれ、
「生命力がある」
「好きなことにのめりこむ集中力がある」
「元気で活動的」
「活き活き楽しんでいる」
「人と触れ合うのが好きみたい」

などと、微妙に違う言葉でその子どものリソースをあげたほうが、
圧倒的に説得力があります。

「みんな、こんなにたくさんの人がうちの子を素晴らしいと言ってる。
 やっぱり、うちの子にはそんな良さがあるということかしら?
 今まで気づいていなかったけれども。」

なんていう風に思えるわけです。

そうすると、子どもの眺め方そのものが
建設的で前向きなものになり、
今まで問題だと感じていたことが、
あまり問題だとは感じられなくなる。

つまり、自然と問題は解消してしまう。


前回講座のほうが、かなりロジカルにかっちりした話の進め方でした。
今日は、わりとグダグダな感じ。

でも、それでいいのだと思います。
大量のリソース拾いをした場合は、
あとはそれを相手に伝えておけば、
その材料を使って新たに色々と新しいことを始めるから。
ある程度、そのリソースとじっくり向き合い料理する時間を当人に与えてあげる方が、
本人が上手にそのリソースを消化できます。

相談というのは必ずしもゴールにまで導く必要はない。

「あの辺にゴールがありそうですね、
 あっちに向かって走ってみたら、
 まあ、途中、デコボコはしているかもしれないけれども、
 最終的にはゴールに到着しそうですね。
 じゃ、私はこれで……」

という感じでお茶を濁して立ち去るという相談も
なかなかいいものだと思うわけです。

堂々巡りの悪循環ループから一歩踏み出すことを伝えたら、
あとはほうっておく。
そうすると、最後のお手柄は本人のものとして
とっておかれることになるわけです。

「自分で問題を解決したぞ!」感が強いので、
子どもに自己肯定感を持たせたい、なんていうときにも
このリソース発見(リソース拾い)をひたすらやりまくっておけば、
それだけで結構有効です。

お試しあれ。

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第二回 無料教育相談 in Skype 1
2008年04月07日 (月) | 編集 |
今日は第二回無料教育相談でした。

前回の第一回は、
前半30分を使ってぼくがきちんと枠組みを全て説明する。
それからグループカウンセリング形式で
子育てのお悩みを聞いて、
参加者とそれについてあれこれ考える、というスタイルでした。

今回は、第二回目なので、
それとは少し違う形にしてみようと思いました。
第一回とまったく同じ形でやるんだったら、
公開してある音声ファイルを聞けばすむ話ですし。

前回の教育相談を自分で聞きなおしたとき、
随分、自分がしゃべりすぎているなあ、と感じたので
今回は他の参加者さんに色々と意見を求めることを
前回よりもかなり多く取り入れてみました。

ぼくは、

「じゃあ、他の参加者さんにこれについて意見を聞いてみましょう。」

「ええ。なるほどー。」

「ああ!それはいいですね!」

という感じで、
参加者全体に話をふってから、
あとはみなさんの意見を聞く側にまわる。

なんだか、手抜きみたいですが、
その結果、段々と参加者のみなさんの口が軽くなってきて、
自分の発言の番がなかなかやってこないので、(全部で10人いますからね)
音声チャットと並行して行われている
ウラで文字チャットを使って、
色々な会話が交わされていました!

これは前回にはない現象でびっくり!

耳で音声チャットのやり取りを追って理解しつつ、
目で文字チャットのやり取りも読んで、
その意見を反映させる。

この方式はさらに工夫をしたら、
より洗練された面白い形のグループカウンセリングになるかもしれません。


多分、「教育講座」という枠組みとしては
第一回(前回)のほうが話がきれいに整理されてまとまっている。
そして、「グループカウンセリング・教育相談」という枠組みとしては
第二回(今回)のほうが参加者全員が積極的に関わって、
様々なアイディアを出し合った面白い会になった。

そんな気がします。

ぼくは結婚もしていないし、子どももいませんが、
参加者の多くはお子さんがいるお母さんなので、
そういう参加者の意見を取り入れることによって、
実体験に即した説得力のあるアイディアがたくさん出されます。
これを使わない手はありません。

また、複数の人が一つの問題についてコメントするので、
色々な種類の角度からの意見があって、
問題を相談している当事者は、
その中から自分の好みに合う好きなアイディアを取り入れることができます。

一対一カウンセリングだと、
相手が気に入って受け入れてくれるようなアイディアを
きちんと出さなければ、と
ある程度、プレッシャーがかかります。

一方、グループ・カウンセリングはアイディアを出す側が
わりと気楽に自由な気持ちで意見をポンポン出せるので、
多彩なアイディアが出てきます。

これもグループ・カウンセリングのメリットですね。



なんにせよ、俺が1人でしゃべりすぎないで、
とにかく、他の参加者にしゃべらせた方が、
結果としてはうまくいくらしい。

多分、ファシリテーションというのは
こういうことなんでしょう。

まあ、個人的にはあれこれしゃべりたくなりますけどね。
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催眠誘導はなぜウケるのか?
2008年04月04日 (金) | 編集 |
催眠誘導講座の柏会場増設クラスが、
昨日の深夜、告知してもうそろそろ満杯に近い状況です。
定員一杯まであと1人かな。
興味のある方は早めにどうぞ。

千葉■本当のエリクソニアン催眠誘導講座■
http://mixi.jp/view_event.pl?id=29718157&comm_id=500762

内容的にはかなりいい出来なので、
今後、作る予定の催眠コミュニケーションの中級講座あたりに
選択科目的に取り入れてもいいかもしれない。


さて、先日、たまちゃんとスカイプで打ち合わせをしていて、
この催眠誘導講座の話をしました。
すると、面白いから録音させて!と言われて、
なんとなくダラダラと話していることを録音してネットにアップしてもらいました。

催眠術と催眠コミュニケーションはどう違うのか?
http://tamahovoice.seesaa.net/article/91777158.html

多分、話している内容はあんまり違いについて説明していません。
なんとなく思いついたことを連想で話すので、
すぐに主題からずれてしまう。

個人的には催眠誘導そのものよりも、
日常のコミュニケーションにいかすための
催眠コミュニケーションの方が、
多くの人たちにとって役立つと思っていて、
そっちのほうが面白いし、今後はそちらをメインにやっていきたいのだけど、
世間でウケるのは催眠誘導そのものだったりするみたい。

値段も圧倒的に高い催眠誘導講座はすぐに定員が埋まり、
もっと安いのにきっとはるかに役に立つ催眠コミュニケーション講座には、
まだ、あんまり人が集まらないという現状がそれを物語っております。

まあ、催眠誘導講座の方は参加すると何が手に入るのかが、
ものすごい明確なんだろうな。
催眠誘導の技術が手に入る。
一般の人たちは、普通持ってない技術だから、すごそう。
船舶免許みたいなものなのかもしれない。
こういうのを「ニッチ」というのかもね。
スキマ産業です。ハイ。

催眠コミュニケーション講座の方も、
みんながきちんと興味を持ってくれるようなネーミングなり、
告知文の内容なりを、
もっと練って考えなければいけないのかもな。
世の中にあんまり(まったく?)普及していない概念だから、
まず、その概念を理解してもらい浸透させるのに時間がかかる。
催眠は偏ったイメージや誤まったイメージや怪しいイメージはあるにせよ、
概念そのものはなんとなく理解されているから、
何が手に入るのかがわかりやすいのだろうなあ。
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M性開花
2008年04月03日 (木) | 編集 |
前の日記でヒップホップダンスのMIWA先生について、
ちょっと触れたので、それについて。

カヅキと2人で先生の可愛らしさと動きの切れ味となによりもその声に
ノックアウトされ続けているわけですが。

今日、気づいてしまいました。

「えーーーー!
 なんか違うっ!
 もさっとしてるよっ!もさっと!」

「お地蔵様じゃないんだからぁーーーーっ!
 そうじゃなくて、こうっ!」

「なんか、みんな様々な動きをしてるよーーーーっ!
 おかしいっ!」

「そんなドタバタするんじゃなくてーーーーー!
 ほらっ!もっと気持ちよく動いて!」

先生の自由奔放なトーンで
できの悪い生徒達に叱咤激励が飛ぶたびに、
もうたまらん!って感じです。

そうかー。
俺にはこういう趣味があったのか。
今まで、気づかなかったよ。


基本的に男の先生のレッスンのほうが好きなのですが、
MIWA先生は別格!
明るくファンキーな女王様を
これからもできの悪いしもべとして崇拝し続けようと思います。
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意識と無意識の学習
2008年04月03日 (木) | 編集 |
ここ最近は催眠誘導講座をやり始めたこともあって、
「意識」と「無意識」という枠組みで
物事を眺めたり、考えたりする機会が多くなっています。

講座をやって人になにかを教えるメリットは、
そのテーマに関して、
少なくとも受講生よりは真剣にあれこれ考え、
自分で色々なことを試してみたりするので、
そのジャンルに関して理解がぐっと進むことです。

「催眠を捨てた」などと言いつつも、
催眠の講座をやるからには、
やっぱり、受講してくれる方に
役立つなにかを伝えないといけない。

特にぼくは、その専門技術が
日常レベルで役立つ形に結びつかないと
なかなか満足できない性格なので、
催眠誘導のような特殊技術に関する講座をやるとなると、
結構、真剣に悩みます。

そういうわけで、催眠誘導講座をやると決めてからのこの数週間、
ずーっと「催眠」および催眠誘導をする際に導入する
「意識」と「無意識」という枠組みの有効利用法について
あれこれと整理して考え直しています。



今日、例のかわいいMIWA先生のヒップホップダンスのクラスに
カヅキと出てきました。
もう、先生の声(特に罵声)にぼくはメロメロなのですが、
その話は置いておいて(笑)

今日のレッスン中に難しくてできないステップがありました。
ってか、ほとんど難しくてできないステップで、
ときどき、ぼくでもできるステップが混ざっているという方が、
現実には近いのですけど。

レッスン中はまったくだめで、
レッスン終了後、カヅキと

「先生、無茶苦茶萌えるねー。先生、最高!」

と2人で先生を褒め称えるバカ話をしながら、風呂へ。

で、風呂に入る前に、

「このステップわけわかんなくない?
 全然、できないんだけど。」

って言いながら、なにげなくそれをやったら、
わりとスムーズにできてしまいました。

これって、レッスン中は意識で動きを学ぼうとしているから、
動きが無意識のレベルに落とされていない。
ところが、ちょっと間を空けて、
意識でそのステップについて考えることをやめている間に、
意識で学んだことが無意識の方へと移された。
無意識は意識して動くのではない自動的な行動を司るので、
なにげなくステップを踏んだら、それができてしまった。

そういうことではないかと思います。

意識的な学習をしたあと、
あえて、ちょっと意識的な努力をやめることで
その学習内容が無意識の方へと落とし込まれるわけだ。

一週間、意識的なトレーニングをしたあと、
三週間程度、意識的なトレーニングをやめて、
学んだことを無意識に落とし込む、ということを
石井先生から以前学んで、それは実行していたのですが、
もっと短いスパンでもそういうことが起きる、と
今回、気付きました。

催眠を実際に上手に日常に活かす一つの方法として、
この「無意識レベルの学習の促進」というのは、
かなり期待できるんじゃないかな、と思い始めた今日この頃です。

ということは、
やはり、「健忘」(学んだことを意識レベルでは一度忘れさせる)を
上手に使いこなすことがポイントになるかな。
ぼくはカウンセラーではなくて教育者のポジションで仕事をしているので、
「年齢退行」とかよりも、
「健忘」をきちんと研究する方が役立ちそうな気がします。

そして、常に自分の興味に沿って講座を進めてしまうわがままものなので、
催眠誘導講座の後半部分は、
「健忘」を上手に引き起こすためのアプローチ法を
メインにして講座内容を組み立てるかもしれません。

また、直前になって気が変わるかもしれないけれども。

相手に「健忘」を引き起こす会話の仕方って、
日常のレベルでも簡単にできるから、
確かに使いやすいんですよね。


問題はあれだ。

ぼくが何かを教えて、そのあと、健忘を引き起こしてしまうと
講座を受けた人たちは、学んだことを覚えていないので、
極めて顧客満足度の低い講座になってしまうかもしれないということ……

参加者の役には立っているのだけど、
学んだことを意識のレベルでは忘れてしまっていて、
役に立ったという実感が少ない。
だから、めんたねの講座に出ても得るものはないよ、という
お商売上、ちょっと困る評判が立つかもしれません。

ま、いいか(笑)

意識では役に立たないと思われつつ、
無意識では役に立ったと理解されて、
何だか知らないけれども、また足が向くなんてことがあったら、
それはそれでスマートな講座ということになるしね。

なるのかなあ……?
無意識様の御威光を信じることにしましょう。
催眠誘導やっているうちは、
無意識様のお世話にならないわけにはいかないしね。
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自分の声
2008年04月02日 (水) | 編集 |
催眠誘導のデモンストレーションのビデオとか、
講座中の自分の話した内容を録音した音声ファイルを聞くと、
自分の声を自分で聞くことになります。

すると、自分の会話の仕方の特徴と言うのがわかります。


1.「あのー」が多い
とりあえず、「あのー」って言いながら、
次に話す内容を整理して考えているんでしょうね。
この「あのー」を取っ払って、沈黙に置き換えたら、
どうなるんだろうか?

僕の場合は声を出すことで、
頭が回るという傾向もあるので、
「あのー」を取っ払った途端、
頭も回らなくなって次の言葉が出なくなるかもしれないけど。

2.声のトーンが音痴っぽい
これは単に自分の気のせいなのかもしれないけれども、
どうも、発話中の音程の変化が気に入らない。
実際にしゃべっているときには、
全然気にならないのだけど、
あとで聞きなおすとものすごく気になる。
脳内補正が日頃はかかっているんだろうな。
まあ、会話するときにいつもそんなこと気になっていたら、
会話することが不快、苦痛になって
会話自体しない人になりそうです。

あ、そうそう。
カラオケで自分が歌った声を録音したりすると、
もう自殺したくなりますね。
あれはひどい。
そこに関しては別にプロの歌手になるわけじゃないから、
触らないことにして、極力、気にしないでおこうと思います。

3.語尾が上がる、伸びる
これは催眠誘導の時にはマイナスかな。

4.語尾が小さくなる
これは改善して、最後まできちんと発音するようにした方が
聞く方が聞き取りやすいと思われます。
多分、文末の方に行くと、
もう次に何を話すかを考え始めていて、
きちんと文末をしめることとかはどうでもよくなってしまうんだろうな。

5.「要は」が多い
まとめたいらしいのだが、
別にまとめになってないことも多い。
口癖ですね。
これは、なくしてもいいと思う。



というわけで、

★「あのー」「要は」のニ語を極力、使わないようにしてみる。
★語尾はハッキリ大きく発音するが、音程は下げ、きっちり伸ばさずに切る。

この辺を少し注意すると、
自分で録音した声を後で聞いても、
それほどイヤではなくなるかもしれません。

明日、カヅキとスポーツクラブに行くから、
この二つを心がけて、カヅキとの会話を録音してみよう。
なんか、微妙にマニアックな趣味というかトレーニングだ。



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お花見+他人の引越し手伝いは楽
2008年03月31日 (月) | 編集 |
日曜日に新宿御苑でお花見をしてきました。
エリクソン読書会メンバー主体のお花見です。

メンバーが作って持ってきてくれた
お料理がおいしいお花見でした。
ありがとうございます!

来年もまたやりたい。やろう。


その後、友人Mのお引越し手伝い。
花見で遊んでからの参加で、
「遅い!」
と怒られたので(笑)、
少しはちゃんと仕事をしようと
荷物の運び込み作業終了後のダンボール開きを
せっせと手伝いました。


ぼくは、ダンボールを開いて、
お皿などをくるんだ新聞紙をはがして、
ひとつずつMに手渡す。
Mはそれを棚に収納していく。


こういう作業は1人でやると多分、5倍ぐらい時間がかかります。

なぜかというと、

「どこに収納すべきか?」
「この品物は捨てずにとっておくべきか、もう捨ててしまうか?」

そういうことをいちいち考え込んでしまうから。
その決断を下すまでに悩む時間がかかります。
また、そういう決断ってささいなことでもけっこう面倒で、
ついつい後回しにしたくなって、
結果として作業を中断して逃避しがちになります。


ところが、作業のパートナーがいると、
どんどんと品物を手渡してくるので、
相手を待たせるわけにはいかないという自然な強制力が働き、
とにかく、その場でパッパと無理やり決断して、
しまうものはしまうし、
捨てるものは捨てるための箱に放り込んでしまう。
途中で休みたくなっても、
パートナーがせっせと品物を渡してくるので、
休もうと言い出すチャンスもなく、結局、黙々と作業してしまう。
相手に休憩を申し出て、許可をもらうという行動自体が
億劫だから、結果として仕事し続けちゃうわけだ。

そして、黙々とダンボール開封作業をやり続けていると、
だんだんとその作業にもリズムが出てきて、
ある種のトランス状態になり、
時間を忘れて黙々と作業し続ける状態ができあがる。
ダンボールがひとつずつ片付いていくのが快感になってくる。


仕事の効率を上げるためには
こういう緩やかな強制力を伴ったパートナーの存在というのは
ぼくみたいな怠け者かつ決断を億劫がって先延ばしにするタイプの人間には
とても重要だったりします。

1人でやった方が効率がいい仕事と、
複数でやったほうが効率がいい仕事というのは、
そうやって、確実に存在するよな。


今回、ぼくは他人のお引越しを手伝う側でした。
ぼくは決断作業担当ではなくて、
ひたすら、ダンボールをあけて、新聞紙をむく係だったので
ものすごく、楽でした。
自分の物を捨てるかどうかを決めるのは辛いけど、
「捨てるか捨てないか決めろ」
と他人に決断をただ迫るだけの役というのは
非常に気楽でいいですね(笑)


きっと、Mはぼくの無言の圧迫を受けて、
決断を連続的に迫られ続けたので
精神的にクタクタになったのではないかと思います。

でも、作業当日は、そんなところに配慮を見せると
作業が遅れて、結果的に後で本人が大変になるだろうから、

「俺がいるうちになるべく作業を進めておいたほうが、
 あとで、楽なんじゃないの?」

などと血も涙もないことを言って、
疲れ果てたMに鞭打って、
作業を継続させていたのでありました。

M、お疲れ様(笑)



ああ、俺も自分の部屋を整理しなければ。
誰か、部屋掃除の鬼コーチ役をやってくれないだろうか。
1人でやると、すぐに本を読み始めてしまって
なかなか作業が続かないのですよ……
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デジタルビデオカメラを買おう
2008年03月28日 (金) | 編集 |
明日の催眠誘導講座では、
自分の催眠誘導を録画しておこうと思います。
今後、あんまりやる機会もないでしょうから。
その画像をいずれなにかに使えるかもしれないし。

そこで、デジタルビデオカメラを買おうと思います。

ネットであれこれ眺めてみたら、
どうも三洋のやつが、
コンパクトでよさそうですね。
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情報的な心と質量的な心
2008年03月27日 (木) | 編集 |
先日、某カウンセラー夫妻と飲んでいて出た話題。

「イライラがたまる」「ストレスがたまる」

なんていう表現があります。

これって、「イライラ」とか「ストレス」を水とかみたいな
質量を持ったエネルギー体のように捉える表現です。

多分、整体とかヨガとか身体と心の相関関係を扱うようなジャンルの人たちや、
世間一般の人たちは、
こういう説明がしっくりくるんじゃないかと思います。


ぼくは、心を便宜上、エネルギー的、質量的に語ることはあっても、
どうも本質的にはあまりそのようには捉えていないらしい、と
その会話の中で気付きました。



毎晩、ダンナの帰りが遅い、
影でなにかコソコソやっている!
そうやって、日々、イライラを貯めている奥さんがいたとする。
イライラも限界、今日こそは深夜にコッソリ返ってくるダンナをつかまえて、
不満をぶちまけて、離婚届もつきつけてやる!
そう待ち構えているところに、
ダンナがちょっといびつな犬小屋を抱えて帰って来た。

「いや、今日はうちのポチを拾ってきて一周年だろ。
 いつも、お前はポチをかわいがって世話をしてくれているのに
 俺は、仕事が忙しくて散歩にすら、
 なかなか連れて行ってやれないから、
 せめて犬小屋ぐらいは作ってやろうと思って
 会社の帰りに実家によって
 大工道具を引っ張り出して作ってみてたんだ。
 作り始めたはいいけど、完成しなかったら恥ずかしいし、
 いきなり完成品を見せたほうが驚くかもと思って、
 今まで黙って作っていたんだけど。」

そんな風に言われた瞬間、
ポチを我が子以上にかわいがっていた妻は、
そんな風にポチに愛情を注ぐダンナに対して、
今まで溜め込んでいた怒りとイライラは吹き飛んで、
喜びと愛情を強く感じるかもしれません。

このときって、質量的に「イライラ」を考えれば、
犬小屋を見せられ、夫の言葉を聞いている最中に、
キューっとイライラの水位が下がり、
「喜び」の水位がビューっと上がったということになります。

ぼくは、あまりそういう風には感覚的には捉えていません。

妻はダンナの隠密行動の目的と結果を知らされた瞬間に、
今までの「イライラ」がくるっと180度反転して、
「喜び」に変わったという感じの受け止め方です。

計算式みたいな感じ。

「夜コソコソ帰ってくる」という行動の理由が、
「浮気」によるものではなく、
「ポチと自分のため」によるものだったとわかったことが、
計算式で言う「−(マイナス)」の働きを持って、
掛け算される感じ。

いっきに、くるっと正反対の感情にひっくり返る。

このとき、ぼくは心を質量的に捉えるというよりは
極めて情報的、意味的、記号的に捉えています。
物理的な質量はないわけだ。そこに。

ナラティブセラピストなんかはどっちかというと、
こういう発想をどこかベースにもっていて、
相手の「しゃべり方」を変えてしまうと、
勝手に感情の持っていた意味・情報の質が変わってしまう、
と考えてるんじゃないのかな。

そして、こういう発想の出所は、
当然、グレゴリー・ベイトソン由来のものなわけですね。
「プレローマ」と「クレアトゥーラ」という概念を使って、
ベイトソンはそれを説明します。

プレローマとは、
ビリヤードボールをキューでつつくと、
その力を受けてボールが転がって、他のボールにぶつかる。
すると、そのぶつかったボールが衝撃を受け取って、
また、動き始める。
このような力と衝撃と質量の世界。
物理的世界。

クレアトゥーラとは、
差異をうむ差異が情報として伝達される世界。
携帯電話で会話をするとき、
僕らが受話器に対して発した声は、
空気の振動として受話器に伝わる。
その振動は電気信号として変換され、
今度は電波として飛んでいく。
途中、いくつかの受信局を経由して、
相手の携帯電話にその電波が受信されると、
再び、携帯電話は音声の振動の形に
情報を戻し、
それが携帯電話にくっつけた耳の鼓膜を振動させ、
それが、今度は脳内を走る微弱な電流に変換され、
聞いた人は相手のメッセージを受け取る。

途中でどのような素材を経て情報が伝わってきたとしても、
素材自体は情報の内容には関係がなくて、
情報自体は空気振動のパターンとか
電波のパターンとか、
物理的な形ではなくパターンとしてやり取りされる。
ある情報の差異が次の情報の差異を生み出し、
それが伝言ゲームのように伝えられていく。

人間の精神活動も
このように情報理論で扱うべきであって、
物理的に扱うべきではないというのが
ベイトソンの主張になります。

ぼくは、わりとその影響を知らず知らずのうちにモロに受けているので、
世間一般では当たり前とされる「心を物質的に扱う」という発想に

「ん?」

と一瞬、違和感を覚えるのでしょう。

リフレーミングなんていう作業も
精神活動を情報的、記号的、意味的に扱っているから
あんまり違和感なく使うんだろうな。

あとは単に自分がいわゆる「ストレス発散」とかが苦手だからかもしれない。
ストレスの原因となっている問題が
解決するなり、自分の中でどうでもよいものと感じられない限りは、
たとえ運動しようが、カラオケしようが、人と飲んで会話しようが、
あんまり「イライラ」度って変わらないんですよね。
なんかのきっかけで、
「ま、そんなことどうでもいっか。」
って思えたらその瞬間に一気に「イライラ」は消え去っちゃうけど。

あまり、「イライラ」とか「ストレス」を物理的、量的に感じることが
もともと多くないんですよね。
限界までガマンしてそこでキレる!とか。

こういうことも今後は少していねいに勉強しておかないといけないな。
感情の処理、ストレスの処理、みたいな問題。

実際問題として、ストレスがたまると
脳内伝達物質のほにゃららが増大し、
その状態では感情が不安定になり……
みたいな話であれば、
ある程度、物質的な問題として解決すべきだろうし。

まあ、まだよくその辺の詳しい仕組みはわかっていないというのが
現状なのではないかという気はしますが。
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親心の欠如
2008年03月26日 (水) | 編集 |
今日、T氏と会話していて、
彼の元教え子の大学受験合否の話題になった。
どうやら、その教え子は第一志望に落ちたらしく、
その進路はあきらめたらしい。

そして、T氏はそのことに心を痛めているのか、心配しているのか、
その辺の心の機微はぼくにはよくはわからないのだけど、
その話題をたくさん話していたので、
多分、T氏にとっては重要な関心事だったのだと思う。

ぼくは受験産業に身を置いておきながら、
極端なまでに生徒の進路に興味がない。
勉強すれば受かるし、
勉強が足りなければ落ちるわけだけど、
別に受かった方がいいのか、
落ちた方がいいのかはぼくにはわからない。

進路が変われば出会う人も変わる。
環境も変わる。
世界に対する興味の持ち方も変わる。
すると、当然、結果として人生も変わる。

だから、進路の結果というのはそれぞれの人生に
大きな影響を与えるのだと思う。
その影響がいい方向への影響なのか、
悪い方向への影響なのかは、
実際のところはなかなか予想がつかない。

だから、あまり進路の結果に興味がないのだ。


T氏いわく、それは確かにそうなのだけど、
当人は合格したい、目指したいと思っていたわけだから、
その気持ちを考えると、
そこから立ち直れるだろうかと心配になる、とのこと。
そして、そこを心配してあげることで
今度、仮に彼に会う機会があったとしたら、
そのときの彼と自分との関係がよいものになるのだそうだ。

心の状態は言動に自然と表れるので、
これは確かにその通りなのだと思う。
でも、関係をよくとるために、
意図的にそのような心配する心の状態を作り出す、
という感覚ではないらしい。

これをT氏は「親心」と表現する。


確かにぼくにはこの「親心」メンタリティが激しく欠如している。

T氏とぼくの「親心」の有無について思いをめぐらしていて、
至った一つの結論。

やはりぼくは個人の意識とか感情とかいうものに、
あんまり重きをおいていないのだと思う。
個人の人間の意識だとか感情だとかを越えた
もっと大きな世界の流れや運命のようなものがあって、
人間はそれぞれそこに乗っかっている。
喜ぼうが、悲しもうが、まあ、とにかくにも、なるようになる。
そして、普通はそれがどのようになるかは予想できない。
激流をいかだで流されているのだけど、
先には大きな滝が待っているかもしれない。
でも、そんなこと考えていても役には立たないから、
とりあえず、目の前に迫ってくる岩をどうやって避けるか考えよう。
滝に落ちなくたって、岩に当たればいかだは壊れちゃうかもしれない。

「とにかく、やれることをやろう。
 やれることに全ての思考エネルギーも行動エネルギーも投下しよう。」

というのがどうもぼくの発想らしい。

「相手に対して役立つ働きかけとはどのようなものだろうか?」

ということは、多分、普通の人よりも
相当しつこく(笑)ずーっと考えていられるんだけど、

「ああ、試験に落ちてしまってかわいそうに…」

とかはなかなか考えていられないのはそのせいみたい。


それはきっと、

「役立つものは素晴らしい。役立つものは美しい。」

という極めてプラグマティックな世界観に美学を見出しているからで、
つまるところは好みの問題なのだろうなとおもう。

いつでも

「どうやったら、この状況をなるべくプラスに活かせるだろうか?」

という風に考える癖があるから、
生徒が試験に落ちたと聞いたら、その瞬間から、

「試験に落ちたという状況をどのように活かすと
 その子の今後の人生にプラスにつながるかな?」

って考え出してしまって、親心モードが発動する暇がないのではないか。
そんな風に考えた次第です。

世の中には親心モードを発動させられる人の方が多いだろうから、
ぼくは少数派として、
状況を利用する方法を考え、提案することに特化するのが、
世のため、人のためになる分業方法なのかもね。
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これが俺の仕事だ!(音声ファイル付き)
2008年03月25日 (火) | 編集 |
先日、行った「第1回 無料教育相談 in Skype」の音声ファイルを
今、せっせとアップしています。

とりあえず、最初のイントロをアップしました。

http://www.voiceblog.jp/mentane/
(音声ファイルがリンク先にあります。)

いつも友人から、
「お前はいったい何の仕事をしてるんだ?」
と尋ねられて困っています。

最近は両親からも
「お前はいったい何の仕事をしてるんだ?」
と尋ねられて困っています。

これを聞いてもらえれば、
なにをやっているのか一目瞭然!

そういうわけで、ぼくのお父さん、お母さん、聴いて下さい。
ぼくはこういう仕事をしているのですよ!

で、だいたい反応の予想がつく。

母は、

「これって、私がいつも言ってることじゃないの。」

って、なにをいまさらってしたり顔できっと言うんです。

そりゃそうだよ。
そういう教育受けて育ってきた結果、
こういう人間になったわけで。




この講座の第2回目があります。
2008年04月07日(月曜日20時〜23時)です。

スカイプ無料教育講座 あまりに好評につき第二弾!!
http://mixi.jp/view_event.pl?id=29217757&comm_id=70575

から参加申し込みしてね。

mixi参加してない人は
toiawase@mentane.net
までメールしてください。

自分で言うのもなんですが、面白いです(笑)
パソコンとヘッドセットさえあれば、
パジャマでも参加できるので、お手軽です。

是非、みなさん参加してね。

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話の流れを変える技術2
2008年03月23日 (日) | 編集 |
この前の日記の続き。

昨日の読書会のぼくのパートでは、
先日の無料教育講座ワークシートを配布し、
実際にその枠組みに沿って、
読書会のぼく以外のメンバーに
相談に乗ってもらうというのを
実験的にやってみてもらいました。

よくできた構造のワークシートなんで、

「これを使えば、誰でも簡単に問題解決!」

と、都合よくいくかどうかの確認ですね。
まあ、世の中、そうはうまくいかないのだけど。

そこで、判明したことが、
この前の日記で書いたことだったんです。

つまり、望みについて問う質問をしても、
クライアント側がその質問にストレートに答えないで、
関係ない答えを返して話がそれていくことがある。
そのようなときに、
それた相手の話を一度、上手に断ち切って、
もう一度、規定路線の上にのせなおす作業というのがあるのだけど、
そこが上手にできないみたいです。

それに対する京助の提案は、
「たとえば、○○という望みもあるだろうし、
 △△という望みかもしれないけれども、
 どのようなものですか?」
と、いくつか望みの具体例を出してあげる、というものでした。

これは、実際に効果的ですね。
ぼくもよく使う。

もう少し、ひねくれたやり方としては
わざと相手が考えていないであろう間違えた望みを
こちらが具体例として提示するというのもあります。

「ほうほう。お子さんがお母さんの言いなりになるように、
 そういう子育ての仕方が上手にできればいいですかね?」

「いや、そうじゃないんです。
 言いなりでは困るんですけど……
 そうですね、悪いことは悪い、ときちんと理解してもらいたいんです。」

正しい具体例にせよ、間違えた具体例にせよ、
具体例を出すことによって、
このような形式の回答を待っていますよ、というメッセージを
相手にきちんと伝えることができる。

さらに、正しい具体例を出したときには、

「そうそう!そうなんです!」

と相手と自分との関係をより強化できる。


わざと間違えた具体例を出す効果は、
人間って間違えたものは思わず「訂正したい!」っていう気持ちが
強く働きますから、
訂正するためには正しい自分の望みを具体的に述べなければならない。

あまり、自分の望みをはっきりと語りたがらないようなクライアントに対して、
わざと突拍子もない変な望みをこちらが勘違いして出してあげれば、
それを正すために、思わず自分の具体的望みを述べてしまう。

わざと間違えるという種類のダブルバインドになってるわけです。



あと、悩みを語りたがる人たちは、
話の切れ目を作らず、
延々と話し続ける傾向がありますから、
相手の息継ぎのタイミングを見つけて、
そこにスパッと割って入らないといけない。
息を吸いながら話し続けられる人は
この世にいませんから、
相手が息を吸うタイミングでこちらは口をはさむわけです。

この辺も強引じゃない性格の人だと入るには入れない。
これはトレーニングでしょうね。



あとは、

「今まで色々うかがっているうちに、
 いくつか質問したいことがでてきたんですけれども、
 ちょっといいですか?」

と質問をさせてもらう許可を取る。

これも、相手の話をいったん断ち切るのに有効です。
いきなり、質問内容を述べるのではなくて、
質問してもいいかどうかを質問するというのがポイント。

「質問してもいいですか?」という問いに対しては
誰でもたいていはYESでかえします。

「いや、質問の前にとにかく私の話を聞いてください!」

って言い切る人は滅多にいません。

で、自分で、「はい。どうぞ。」と答えてしまった手前、
「無理やり話を断ち切られた!」という風にも感じない。
さらに、質問することを許可したということは、
なかば、それとセットにして、
質問に答えることも受け入れた、ということです。

だから、質問の内容にちゃんと答えてくれる可能性が
グンと高まります。

一体、そんな前置きをしてまでする質問ってなんだろう?
って相手の興味も悩み自体から、
質問の内容へとシフトしますから、
話題を変えるためのつなぎにはもってこいです。


とりあえず、話題をリセットするための技術として、
いくつか、思い当たるものを書いてみました。


大技として、

「すみません。ちょっとトイレいってきます!」

っていって、
戻ってきたら違う話題をするっていうのも
ありますけど(笑)
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話の流れを変える技術
2008年03月23日 (日) | 編集 |
昨日の読書会には京助が参加しました。

京助はミラノ派のシステミック・アプローチについて
その治療枠組みのとり方について、
色々と話をしてくれました。

月に1回というペース、
全部で10回以内という回数を
最初にきちんと決めてしまうのが
一番、治療効率がよい、というのが
ミラノ派の考えらしい。

実際にデータを取ったらそういうことになったみたい。


月に1回というペースに関しては
非常に納得がいきます。
家族システムが変化するのに要する時間って
やっぱり、そんなもんでしょう。


また、ミラノ派では、
一回の面接時間は60分という風に決めています。
60分といっても、実際は、終わりの15分間は、
マジックミラーの後ろ側で面接様子を見ていたカウンセラーと、
面接室の中にいたカウンセラーとで
ごにょごにょと相談する時間および課題を出す時間なので、
面接自体の時間は45分です。


先日、やってみた無料教育相談内での公開カウンセリングは、
やっぱり、だいたい一人、30分以内で終了しました。
確かに45分とっておけば、十分ですね。




ちなみにカウンセリングにかかる時間が
長くなったり短くなったりする一番の要因はどこか?というと、
クライアントがどれだけ、自分の悩みや不安について
たくさん語りたがるかという点です。

多くのブリーフ・セラピストは問題を解決することに興味があるので、
クライアントの悩みや不安についてはそれほど興味を払わず、
(もちろん、関係壊さない程度には聞く)
わりとサクサクっと、

「で、どうなりたいの?」

と相手の望みを知りたがります。
相手の望みを知ることができたら、

「こんなことをやってみたらどうでしょう?」

と具体的な介入課題を
ポンと出してしまって終わりですから、
時間的にはそんなにかからない。


延びる時間というのは、
この筋からそれて話が脱線した分です。
そして、脱線の仕方というのは十中八九、

「自分がいかに悩んでいるか、
 周りの人間がいかにダメな人たちか」

という風に、
問題がうまく行ったあとの解決像ではなく、
現在の問題像を詳細に描き出すのに使われます。
問題像を丁寧にきくことで、
問題が起こされている一連の出来事の流れを知って、
解決に役立たせられる可能性もあります。
だから、一概に問題像を聞くことは無駄だとは
限らないのですが、
クライアントが語るようにだけ聞いていると、
だいたい解決にはつながりません。

だって、今まで散々、そうやって考えてきて
その結果、解決しないから
ここに相談に来ているわけで。


そこで、各種質問を使って、
クライアントに色々と語ってもらう語り方に
微妙な変化を与えて、
解決のために役立ちそうな情報を語ってもらう流れへと
誘導していきます。

「いままでに、お子さんと関わった中で、
 どんなことをやったときに、比較的うまくいきましたか?」

とかね。

いきなり、うまくいった例を聞くと抵抗が強い。
うまくいった例を答えたがらない。

そんなときには、
あえて、うまくいかなかった例を最初に聞いておいて、
次に反対側のうまくいった例を聞く、という
順番にするとわりと話してもらえやすくなります。

・上手くいかなかった例
・上手くいった例

というのを対比的に両方扱うのは
ものすごく自然ですから。

で、うまくいかなかった例に関しては、
今後、その戦略を採用するのはやめましょう、と利用し、
うまくいった例に関しては
今後、もっとその戦略を積極的に採用しましょう、と利用する。


ぼくはそうやって話の流れを変えるのに、
もっぱら質問を利用しています。
この質問の使い方が上手いか下手かで、
面接時間が相当、変わると思われます。

その話は次の日記で。


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オープンカウンセリング的ななにか
2008年03月19日 (水) | 編集 |
今日はスカイプを使って、
無料教育講座というのをやりました。
初の試みにしてはなかなかの出来だったと
自分ではとっても満足。

何が満足って面白かったんだよね。
ぼくが。
面白いって重要です。

当初2時間の予定でしたが、
まあ、なかば確信犯的に延長するつもりでした。
結局、3時間30分ぐらいやった。

前半、30分程度を今日の後半の教育相談のときに使う、
問題解決のための枠組みの説明にあて、
残りの時間は、
参加者のみなさんがそれぞれもちよってくれた相談を
一つ一つ、その枠組みに沿って理解し、処理していく感じ。

今日の講座で使うために用意してみた問題解決のための枠組みは
結構、使い勝手がよかったです。
開始30分前ぐらいにふと思いついて、
問題解決ワークシートなるものを
あわてて単なるテキストファイルで作ってみたのだけど、
これも喜んでもらえたようでよかったです。

多分、この問題解決ツールであれば、
わりと一般の人も広く利用できるんじゃないだろうか?
そんなに難しい話はないし。

自分の望みと相手の望みを一致させれば、
その先に問題解決の道が見えます。以上。
それだけだから。

特に親子関係に代表されるような、
2者間、3者間など複数の人間の間に生じる
人間関係上の問題構造を理解するには
なかなかよくできたツールとなってくれました。




単に個人だけの問題って
悩みとしてはあまり多くないような気もする。

「あの人が思い通りに動いてくれないから困っている。」

といったように、
何らかの形で他者が関わる悩みのほうが、
世の中にはたくさんあって、しかも解決がちょっとやっかい。

ぼくは、いつも家庭教師の仕事の場合、

ぼく→子ども
ぼく→親→子ども

という二つの経路を持っていて、
状況に応じてこの二本の経路を使い分けながら
仕事をするのだけれども、
今日のように親御さんたちだけを集めた会だと、

ぼく→親→子ども

というルート一本になります。
つまり、子どもとは顔もあわせたことがないし、
性格も特徴も何もわからないという状況で
相談に乗ることになる。

そして、スカイプ相談というのも初めてだったので、
顔が見えない相談を初めてしました。
アナログな人間なんで、
基本的に目の前に人間がいないと結構不安なのです。

その辺、微妙にスリリングでして、
完全に一つ一つの言葉に頼るしかない。
でも、そのわりにはというか、
だからこそというか、
システマチックに一つ一つ問題を片付けていけた気がします。
全て論理的に話を進めていけた。

勘とひらめきに頼ったカウンセリングは、
再現性が低いのであまりよろしくない。

今日はきちっと筋道立てて話を進めていき、
なおかつ、何らかの形で

「とりあえず、こんなことやってみたら?」

というところまで話がいけたので、
個人的にはなかなか満足なカウンセリングでした。

まあ、ぼくのやっているものを
カウンセリングと呼ぶのかどうかは自分でもよくわからないけど。

コーチをやっているたまちゃんからは、
コーチングみたいですよね、と言われたし。
仕事柄、あんまりヘビーなお話は扱わないしね。
「心の癒し」みたいな作業をするわけでもない。
クライアント泣かすなんてもってのほかだけど、
笑いすぎて笑い泣きさせるのは光栄のきわみ。
そういう教育相談ですから。

ま、ブリーフセラピストはみんなそういう傾向強いか。

あと、どうでもいいことですが、
今日、やっていて思ったのは
このカウンセリングではきっとお金にならないなあ、ということ(笑)

多分、多くの場合は1回、
1回で解決し