めんたねの技術をマジメにふざけて実践する
情報的な心と質量的な心
2008年03月27日 (木) | 編集 |
先日、某カウンセラー夫妻と飲んでいて出た話題。

「イライラがたまる」「ストレスがたまる」

なんていう表現があります。

これって、「イライラ」とか「ストレス」を水とかみたいな
質量を持ったエネルギー体のように捉える表現です。

多分、整体とかヨガとか身体と心の相関関係を扱うようなジャンルの人たちや、
世間一般の人たちは、
こういう説明がしっくりくるんじゃないかと思います。


ぼくは、心を便宜上、エネルギー的、質量的に語ることはあっても、
どうも本質的にはあまりそのようには捉えていないらしい、と
その会話の中で気付きました。



毎晩、ダンナの帰りが遅い、
影でなにかコソコソやっている!
そうやって、日々、イライラを貯めている奥さんがいたとする。
イライラも限界、今日こそは深夜にコッソリ返ってくるダンナをつかまえて、
不満をぶちまけて、離婚届もつきつけてやる!
そう待ち構えているところに、
ダンナがちょっといびつな犬小屋を抱えて帰って来た。

「いや、今日はうちのポチを拾ってきて一周年だろ。
 いつも、お前はポチをかわいがって世話をしてくれているのに
 俺は、仕事が忙しくて散歩にすら、
 なかなか連れて行ってやれないから、
 せめて犬小屋ぐらいは作ってやろうと思って
 会社の帰りに実家によって
 大工道具を引っ張り出して作ってみてたんだ。
 作り始めたはいいけど、完成しなかったら恥ずかしいし、
 いきなり完成品を見せたほうが驚くかもと思って、
 今まで黙って作っていたんだけど。」

そんな風に言われた瞬間、
ポチを我が子以上にかわいがっていた妻は、
そんな風にポチに愛情を注ぐダンナに対して、
今まで溜め込んでいた怒りとイライラは吹き飛んで、
喜びと愛情を強く感じるかもしれません。

このときって、質量的に「イライラ」を考えれば、
犬小屋を見せられ、夫の言葉を聞いている最中に、
キューっとイライラの水位が下がり、
「喜び」の水位がビューっと上がったということになります。

ぼくは、あまりそういう風には感覚的には捉えていません。

妻はダンナの隠密行動の目的と結果を知らされた瞬間に、
今までの「イライラ」がくるっと180度反転して、
「喜び」に変わったという感じの受け止め方です。

計算式みたいな感じ。

「夜コソコソ帰ってくる」という行動の理由が、
「浮気」によるものではなく、
「ポチと自分のため」によるものだったとわかったことが、
計算式で言う「−(マイナス)」の働きを持って、
掛け算される感じ。

いっきに、くるっと正反対の感情にひっくり返る。

このとき、ぼくは心を質量的に捉えるというよりは
極めて情報的、意味的、記号的に捉えています。
物理的な質量はないわけだ。そこに。

ナラティブセラピストなんかはどっちかというと、
こういう発想をどこかベースにもっていて、
相手の「しゃべり方」を変えてしまうと、
勝手に感情の持っていた意味・情報の質が変わってしまう、
と考えてるんじゃないのかな。

そして、こういう発想の出所は、
当然、グレゴリー・ベイトソン由来のものなわけですね。
「プレローマ」と「クレアトゥーラ」という概念を使って、
ベイトソンはそれを説明します。

プレローマとは、
ビリヤードボールをキューでつつくと、
その力を受けてボールが転がって、他のボールにぶつかる。
すると、そのぶつかったボールが衝撃を受け取って、
また、動き始める。
このような力と衝撃と質量の世界。
物理的世界。

クレアトゥーラとは、
差異をうむ差異が情報として伝達される世界。
携帯電話で会話をするとき、
僕らが受話器に対して発した声は、
空気の振動として受話器に伝わる。
その振動は電気信号として変換され、
今度は電波として飛んでいく。
途中、いくつかの受信局を経由して、
相手の携帯電話にその電波が受信されると、
再び、携帯電話は音声の振動の形に
情報を戻し、
それが携帯電話にくっつけた耳の鼓膜を振動させ、
それが、今度は脳内を走る微弱な電流に変換され、
聞いた人は相手のメッセージを受け取る。

途中でどのような素材を経て情報が伝わってきたとしても、
素材自体は情報の内容には関係がなくて、
情報自体は空気振動のパターンとか
電波のパターンとか、
物理的な形ではなくパターンとしてやり取りされる。
ある情報の差異が次の情報の差異を生み出し、
それが伝言ゲームのように伝えられていく。

人間の精神活動も
このように情報理論で扱うべきであって、
物理的に扱うべきではないというのが
ベイトソンの主張になります。

ぼくは、わりとその影響を知らず知らずのうちにモロに受けているので、
世間一般では当たり前とされる「心を物質的に扱う」という発想に

「ん?」

と一瞬、違和感を覚えるのでしょう。

リフレーミングなんていう作業も
精神活動を情報的、記号的、意味的に扱っているから
あんまり違和感なく使うんだろうな。

あとは単に自分がいわゆる「ストレス発散」とかが苦手だからかもしれない。
ストレスの原因となっている問題が
解決するなり、自分の中でどうでもよいものと感じられない限りは、
たとえ運動しようが、カラオケしようが、人と飲んで会話しようが、
あんまり「イライラ」度って変わらないんですよね。
なんかのきっかけで、
「ま、そんなことどうでもいっか。」
って思えたらその瞬間に一気に「イライラ」は消え去っちゃうけど。

あまり、「イライラ」とか「ストレス」を物理的、量的に感じることが
もともと多くないんですよね。
限界までガマンしてそこでキレる!とか。

こういうことも今後は少していねいに勉強しておかないといけないな。
感情の処理、ストレスの処理、みたいな問題。

実際問題として、ストレスがたまると
脳内伝達物質のほにゃららが増大し、
その状態では感情が不安定になり……
みたいな話であれば、
ある程度、物質的な問題として解決すべきだろうし。

まあ、まだよくその辺の詳しい仕組みはわかっていないというのが
現状なのではないかという気はしますが。
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