催眠誘導講座の柏会場増設クラスが、
昨日の深夜、告知してもうそろそろ満杯に近い状況です。
定員一杯まであと1人かな。
興味のある方は早めにどうぞ。
千葉■本当のエリクソニアン催眠誘導講座■
http://mixi.jp/view_event.pl?id=29718157&comm_id=500762
内容的にはかなりいい出来なので、
今後、作る予定の催眠コミュニケーションの中級講座あたりに
選択科目的に取り入れてもいいかもしれない。
さて、先日、たまちゃんとスカイプで打ち合わせをしていて、
この催眠誘導講座の話をしました。
すると、面白いから録音させて!と言われて、
なんとなくダラダラと話していることを録音してネットにアップしてもらいました。
催眠術と催眠コミュニケーションはどう違うのか?
http://tamahovoice.seesaa.net/article/91777158.html
多分、話している内容はあんまり違いについて説明していません。
なんとなく思いついたことを連想で話すので、
すぐに主題からずれてしまう。
個人的には催眠誘導そのものよりも、
日常のコミュニケーションにいかすための
催眠コミュニケーションの方が、
多くの人たちにとって役立つと思っていて、
そっちのほうが面白いし、今後はそちらをメインにやっていきたいのだけど、
世間でウケるのは催眠誘導そのものだったりするみたい。
値段も圧倒的に高い催眠誘導講座はすぐに定員が埋まり、
もっと安いのにきっとはるかに役に立つ催眠コミュニケーション講座には、
まだ、あんまり人が集まらないという現状がそれを物語っております。
まあ、催眠誘導講座の方は参加すると何が手に入るのかが、
ものすごい明確なんだろうな。
催眠誘導の技術が手に入る。
一般の人たちは、普通持ってない技術だから、すごそう。
船舶免許みたいなものなのかもしれない。
こういうのを「ニッチ」というのかもね。
スキマ産業です。ハイ。
催眠コミュニケーション講座の方も、
みんながきちんと興味を持ってくれるようなネーミングなり、
告知文の内容なりを、
もっと練って考えなければいけないのかもな。
世の中にあんまり(まったく?)普及していない概念だから、
まず、その概念を理解してもらい浸透させるのに時間がかかる。
催眠は偏ったイメージや誤まったイメージや怪しいイメージはあるにせよ、
概念そのものはなんとなく理解されているから、
何が手に入るのかがわかりやすいのだろうなあ。
昨日の深夜、告知してもうそろそろ満杯に近い状況です。
定員一杯まであと1人かな。
興味のある方は早めにどうぞ。
千葉■本当のエリクソニアン催眠誘導講座■
http://mixi.jp/view_event.pl?id=29718157&comm_id=500762
内容的にはかなりいい出来なので、
今後、作る予定の催眠コミュニケーションの中級講座あたりに
選択科目的に取り入れてもいいかもしれない。
さて、先日、たまちゃんとスカイプで打ち合わせをしていて、
この催眠誘導講座の話をしました。
すると、面白いから録音させて!と言われて、
なんとなくダラダラと話していることを録音してネットにアップしてもらいました。
催眠術と催眠コミュニケーションはどう違うのか?
http://tamahovoice.seesaa.net/article/91777158.html
多分、話している内容はあんまり違いについて説明していません。
なんとなく思いついたことを連想で話すので、
すぐに主題からずれてしまう。
個人的には催眠誘導そのものよりも、
日常のコミュニケーションにいかすための
催眠コミュニケーションの方が、
多くの人たちにとって役立つと思っていて、
そっちのほうが面白いし、今後はそちらをメインにやっていきたいのだけど、
世間でウケるのは催眠誘導そのものだったりするみたい。
値段も圧倒的に高い催眠誘導講座はすぐに定員が埋まり、
もっと安いのにきっとはるかに役に立つ催眠コミュニケーション講座には、
まだ、あんまり人が集まらないという現状がそれを物語っております。
まあ、催眠誘導講座の方は参加すると何が手に入るのかが、
ものすごい明確なんだろうな。
催眠誘導の技術が手に入る。
一般の人たちは、普通持ってない技術だから、すごそう。
船舶免許みたいなものなのかもしれない。
こういうのを「ニッチ」というのかもね。
スキマ産業です。ハイ。
催眠コミュニケーション講座の方も、
みんながきちんと興味を持ってくれるようなネーミングなり、
告知文の内容なりを、
もっと練って考えなければいけないのかもな。
世の中にあんまり(まったく?)普及していない概念だから、
まず、その概念を理解してもらい浸透させるのに時間がかかる。
催眠は偏ったイメージや誤まったイメージや怪しいイメージはあるにせよ、
概念そのものはなんとなく理解されているから、
何が手に入るのかがわかりやすいのだろうなあ。
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前の日記でヒップホップダンスのMIWA先生について、
ちょっと触れたので、それについて。
カヅキと2人で先生の可愛らしさと動きの切れ味となによりもその声に
ノックアウトされ続けているわけですが。
今日、気づいてしまいました。
「えーーーー!
なんか違うっ!
もさっとしてるよっ!もさっと!」
「お地蔵様じゃないんだからぁーーーーっ!
そうじゃなくて、こうっ!」
「なんか、みんな様々な動きをしてるよーーーーっ!
おかしいっ!」
「そんなドタバタするんじゃなくてーーーーー!
ほらっ!もっと気持ちよく動いて!」
先生の自由奔放なトーンで
できの悪い生徒達に叱咤激励が飛ぶたびに、
もうたまらん!って感じです。
そうかー。
俺にはこういう趣味があったのか。
今まで、気づかなかったよ。
基本的に男の先生のレッスンのほうが好きなのですが、
MIWA先生は別格!
明るくファンキーな女王様を
これからもできの悪いしもべとして崇拝し続けようと思います。
ちょっと触れたので、それについて。
カヅキと2人で先生の可愛らしさと動きの切れ味となによりもその声に
ノックアウトされ続けているわけですが。
今日、気づいてしまいました。
「えーーーー!
なんか違うっ!
もさっとしてるよっ!もさっと!」
「お地蔵様じゃないんだからぁーーーーっ!
そうじゃなくて、こうっ!」
「なんか、みんな様々な動きをしてるよーーーーっ!
おかしいっ!」
「そんなドタバタするんじゃなくてーーーーー!
ほらっ!もっと気持ちよく動いて!」
先生の自由奔放なトーンで
できの悪い生徒達に叱咤激励が飛ぶたびに、
もうたまらん!って感じです。
そうかー。
俺にはこういう趣味があったのか。
今まで、気づかなかったよ。
基本的に男の先生のレッスンのほうが好きなのですが、
MIWA先生は別格!
明るくファンキーな女王様を
これからもできの悪いしもべとして崇拝し続けようと思います。
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ここ最近は催眠誘導講座をやり始めたこともあって、
「意識」と「無意識」という枠組みで
物事を眺めたり、考えたりする機会が多くなっています。
講座をやって人になにかを教えるメリットは、
そのテーマに関して、
少なくとも受講生よりは真剣にあれこれ考え、
自分で色々なことを試してみたりするので、
そのジャンルに関して理解がぐっと進むことです。
「催眠を捨てた」などと言いつつも、
催眠の講座をやるからには、
やっぱり、受講してくれる方に
役立つなにかを伝えないといけない。
特にぼくは、その専門技術が
日常レベルで役立つ形に結びつかないと
なかなか満足できない性格なので、
催眠誘導のような特殊技術に関する講座をやるとなると、
結構、真剣に悩みます。
そういうわけで、催眠誘導講座をやると決めてからのこの数週間、
ずーっと「催眠」および催眠誘導をする際に導入する
「意識」と「無意識」という枠組みの有効利用法について
あれこれと整理して考え直しています。
今日、例のかわいいMIWA先生のヒップホップダンスのクラスに
カヅキと出てきました。
もう、先生の声(特に罵声)にぼくはメロメロなのですが、
その話は置いておいて(笑)
今日のレッスン中に難しくてできないステップがありました。
ってか、ほとんど難しくてできないステップで、
ときどき、ぼくでもできるステップが混ざっているという方が、
現実には近いのですけど。
レッスン中はまったくだめで、
レッスン終了後、カヅキと
「先生、無茶苦茶萌えるねー。先生、最高!」
と2人で先生を褒め称えるバカ話をしながら、風呂へ。
で、風呂に入る前に、
「このステップわけわかんなくない?
全然、できないんだけど。」
って言いながら、なにげなくそれをやったら、
わりとスムーズにできてしまいました。
これって、レッスン中は意識で動きを学ぼうとしているから、
動きが無意識のレベルに落とされていない。
ところが、ちょっと間を空けて、
意識でそのステップについて考えることをやめている間に、
意識で学んだことが無意識の方へと移された。
無意識は意識して動くのではない自動的な行動を司るので、
なにげなくステップを踏んだら、それができてしまった。
そういうことではないかと思います。
意識的な学習をしたあと、
あえて、ちょっと意識的な努力をやめることで
その学習内容が無意識の方へと落とし込まれるわけだ。
一週間、意識的なトレーニングをしたあと、
三週間程度、意識的なトレーニングをやめて、
学んだことを無意識に落とし込む、ということを
石井先生から以前学んで、それは実行していたのですが、
もっと短いスパンでもそういうことが起きる、と
今回、気付きました。
催眠を実際に上手に日常に活かす一つの方法として、
この「無意識レベルの学習の促進」というのは、
かなり期待できるんじゃないかな、と思い始めた今日この頃です。
ということは、
やはり、「健忘」(学んだことを意識レベルでは一度忘れさせる)を
上手に使いこなすことがポイントになるかな。
ぼくはカウンセラーではなくて教育者のポジションで仕事をしているので、
「年齢退行」とかよりも、
「健忘」をきちんと研究する方が役立ちそうな気がします。
そして、常に自分の興味に沿って講座を進めてしまうわがままものなので、
催眠誘導講座の後半部分は、
「健忘」を上手に引き起こすためのアプローチ法を
メインにして講座内容を組み立てるかもしれません。
また、直前になって気が変わるかもしれないけれども。
相手に「健忘」を引き起こす会話の仕方って、
日常のレベルでも簡単にできるから、
確かに使いやすいんですよね。
問題はあれだ。
ぼくが何かを教えて、そのあと、健忘を引き起こしてしまうと
講座を受けた人たちは、学んだことを覚えていないので、
極めて顧客満足度の低い講座になってしまうかもしれないということ……
参加者の役には立っているのだけど、
学んだことを意識のレベルでは忘れてしまっていて、
役に立ったという実感が少ない。
だから、めんたねの講座に出ても得るものはないよ、という
お商売上、ちょっと困る評判が立つかもしれません。
ま、いいか(笑)
意識では役に立たないと思われつつ、
無意識では役に立ったと理解されて、
何だか知らないけれども、また足が向くなんてことがあったら、
それはそれでスマートな講座ということになるしね。
なるのかなあ……?
無意識様の御威光を信じることにしましょう。
催眠誘導やっているうちは、
無意識様のお世話にならないわけにはいかないしね。
「意識」と「無意識」という枠組みで
物事を眺めたり、考えたりする機会が多くなっています。
講座をやって人になにかを教えるメリットは、
そのテーマに関して、
少なくとも受講生よりは真剣にあれこれ考え、
自分で色々なことを試してみたりするので、
そのジャンルに関して理解がぐっと進むことです。
「催眠を捨てた」などと言いつつも、
催眠の講座をやるからには、
やっぱり、受講してくれる方に
役立つなにかを伝えないといけない。
特にぼくは、その専門技術が
日常レベルで役立つ形に結びつかないと
なかなか満足できない性格なので、
催眠誘導のような特殊技術に関する講座をやるとなると、
結構、真剣に悩みます。
そういうわけで、催眠誘導講座をやると決めてからのこの数週間、
ずーっと「催眠」および催眠誘導をする際に導入する
「意識」と「無意識」という枠組みの有効利用法について
あれこれと整理して考え直しています。
今日、例のかわいいMIWA先生のヒップホップダンスのクラスに
カヅキと出てきました。
もう、先生の声(特に罵声)にぼくはメロメロなのですが、
その話は置いておいて(笑)
今日のレッスン中に難しくてできないステップがありました。
ってか、ほとんど難しくてできないステップで、
ときどき、ぼくでもできるステップが混ざっているという方が、
現実には近いのですけど。
レッスン中はまったくだめで、
レッスン終了後、カヅキと
「先生、無茶苦茶萌えるねー。先生、最高!」
と2人で先生を褒め称えるバカ話をしながら、風呂へ。
で、風呂に入る前に、
「このステップわけわかんなくない?
全然、できないんだけど。」
って言いながら、なにげなくそれをやったら、
わりとスムーズにできてしまいました。
これって、レッスン中は意識で動きを学ぼうとしているから、
動きが無意識のレベルに落とされていない。
ところが、ちょっと間を空けて、
意識でそのステップについて考えることをやめている間に、
意識で学んだことが無意識の方へと移された。
無意識は意識して動くのではない自動的な行動を司るので、
なにげなくステップを踏んだら、それができてしまった。
そういうことではないかと思います。
意識的な学習をしたあと、
あえて、ちょっと意識的な努力をやめることで
その学習内容が無意識の方へと落とし込まれるわけだ。
一週間、意識的なトレーニングをしたあと、
三週間程度、意識的なトレーニングをやめて、
学んだことを無意識に落とし込む、ということを
石井先生から以前学んで、それは実行していたのですが、
もっと短いスパンでもそういうことが起きる、と
今回、気付きました。
催眠を実際に上手に日常に活かす一つの方法として、
この「無意識レベルの学習の促進」というのは、
かなり期待できるんじゃないかな、と思い始めた今日この頃です。
ということは、
やはり、「健忘」(学んだことを意識レベルでは一度忘れさせる)を
上手に使いこなすことがポイントになるかな。
ぼくはカウンセラーではなくて教育者のポジションで仕事をしているので、
「年齢退行」とかよりも、
「健忘」をきちんと研究する方が役立ちそうな気がします。
そして、常に自分の興味に沿って講座を進めてしまうわがままものなので、
催眠誘導講座の後半部分は、
「健忘」を上手に引き起こすためのアプローチ法を
メインにして講座内容を組み立てるかもしれません。
また、直前になって気が変わるかもしれないけれども。
相手に「健忘」を引き起こす会話の仕方って、
日常のレベルでも簡単にできるから、
確かに使いやすいんですよね。
問題はあれだ。
ぼくが何かを教えて、そのあと、健忘を引き起こしてしまうと
講座を受けた人たちは、学んだことを覚えていないので、
極めて顧客満足度の低い講座になってしまうかもしれないということ……
参加者の役には立っているのだけど、
学んだことを意識のレベルでは忘れてしまっていて、
役に立ったという実感が少ない。
だから、めんたねの講座に出ても得るものはないよ、という
お商売上、ちょっと困る評判が立つかもしれません。
ま、いいか(笑)
意識では役に立たないと思われつつ、
無意識では役に立ったと理解されて、
何だか知らないけれども、また足が向くなんてことがあったら、
それはそれでスマートな講座ということになるしね。
なるのかなあ……?
無意識様の御威光を信じることにしましょう。
催眠誘導やっているうちは、
無意識様のお世話にならないわけにはいかないしね。
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催眠誘導のデモンストレーションのビデオとか、
講座中の自分の話した内容を録音した音声ファイルを聞くと、
自分の声を自分で聞くことになります。
すると、自分の会話の仕方の特徴と言うのがわかります。
1.「あのー」が多い
とりあえず、「あのー」って言いながら、
次に話す内容を整理して考えているんでしょうね。
この「あのー」を取っ払って、沈黙に置き換えたら、
どうなるんだろうか?
僕の場合は声を出すことで、
頭が回るという傾向もあるので、
「あのー」を取っ払った途端、
頭も回らなくなって次の言葉が出なくなるかもしれないけど。
2.声のトーンが音痴っぽい
これは単に自分の気のせいなのかもしれないけれども、
どうも、発話中の音程の変化が気に入らない。
実際にしゃべっているときには、
全然気にならないのだけど、
あとで聞きなおすとものすごく気になる。
脳内補正が日頃はかかっているんだろうな。
まあ、会話するときにいつもそんなこと気になっていたら、
会話することが不快、苦痛になって
会話自体しない人になりそうです。
あ、そうそう。
カラオケで自分が歌った声を録音したりすると、
もう自殺したくなりますね。
あれはひどい。
そこに関しては別にプロの歌手になるわけじゃないから、
触らないことにして、極力、気にしないでおこうと思います。
3.語尾が上がる、伸びる
これは催眠誘導の時にはマイナスかな。
4.語尾が小さくなる
これは改善して、最後まできちんと発音するようにした方が
聞く方が聞き取りやすいと思われます。
多分、文末の方に行くと、
もう次に何を話すかを考え始めていて、
きちんと文末をしめることとかはどうでもよくなってしまうんだろうな。
5.「要は」が多い
まとめたいらしいのだが、
別にまとめになってないことも多い。
口癖ですね。
これは、なくしてもいいと思う。
というわけで、
★「あのー」「要は」のニ語を極力、使わないようにしてみる。
★語尾はハッキリ大きく発音するが、音程は下げ、きっちり伸ばさずに切る。
この辺を少し注意すると、
自分で録音した声を後で聞いても、
それほどイヤではなくなるかもしれません。
明日、カヅキとスポーツクラブに行くから、
この二つを心がけて、カヅキとの会話を録音してみよう。
なんか、微妙にマニアックな趣味というかトレーニングだ。
講座中の自分の話した内容を録音した音声ファイルを聞くと、
自分の声を自分で聞くことになります。
すると、自分の会話の仕方の特徴と言うのがわかります。
1.「あのー」が多い
とりあえず、「あのー」って言いながら、
次に話す内容を整理して考えているんでしょうね。
この「あのー」を取っ払って、沈黙に置き換えたら、
どうなるんだろうか?
僕の場合は声を出すことで、
頭が回るという傾向もあるので、
「あのー」を取っ払った途端、
頭も回らなくなって次の言葉が出なくなるかもしれないけど。
2.声のトーンが音痴っぽい
これは単に自分の気のせいなのかもしれないけれども、
どうも、発話中の音程の変化が気に入らない。
実際にしゃべっているときには、
全然気にならないのだけど、
あとで聞きなおすとものすごく気になる。
脳内補正が日頃はかかっているんだろうな。
まあ、会話するときにいつもそんなこと気になっていたら、
会話することが不快、苦痛になって
会話自体しない人になりそうです。
あ、そうそう。
カラオケで自分が歌った声を録音したりすると、
もう自殺したくなりますね。
あれはひどい。
そこに関しては別にプロの歌手になるわけじゃないから、
触らないことにして、極力、気にしないでおこうと思います。
3.語尾が上がる、伸びる
これは催眠誘導の時にはマイナスかな。
4.語尾が小さくなる
これは改善して、最後まできちんと発音するようにした方が
聞く方が聞き取りやすいと思われます。
多分、文末の方に行くと、
もう次に何を話すかを考え始めていて、
きちんと文末をしめることとかはどうでもよくなってしまうんだろうな。
5.「要は」が多い
まとめたいらしいのだが、
別にまとめになってないことも多い。
口癖ですね。
これは、なくしてもいいと思う。
というわけで、
★「あのー」「要は」のニ語を極力、使わないようにしてみる。
★語尾はハッキリ大きく発音するが、音程は下げ、きっちり伸ばさずに切る。
この辺を少し注意すると、
自分で録音した声を後で聞いても、
それほどイヤではなくなるかもしれません。
明日、カヅキとスポーツクラブに行くから、
この二つを心がけて、カヅキとの会話を録音してみよう。
なんか、微妙にマニアックな趣味というかトレーニングだ。
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日曜日に新宿御苑でお花見をしてきました。
エリクソン読書会メンバー主体のお花見です。
メンバーが作って持ってきてくれた
お料理がおいしいお花見でした。
ありがとうございます!
来年もまたやりたい。やろう。
その後、友人Mのお引越し手伝い。
花見で遊んでからの参加で、
「遅い!」
と怒られたので(笑)、
少しはちゃんと仕事をしようと
荷物の運び込み作業終了後のダンボール開きを
せっせと手伝いました。
ぼくは、ダンボールを開いて、
お皿などをくるんだ新聞紙をはがして、
ひとつずつMに手渡す。
Mはそれを棚に収納していく。
こういう作業は1人でやると多分、5倍ぐらい時間がかかります。
なぜかというと、
「どこに収納すべきか?」
「この品物は捨てずにとっておくべきか、もう捨ててしまうか?」
そういうことをいちいち考え込んでしまうから。
その決断を下すまでに悩む時間がかかります。
また、そういう決断ってささいなことでもけっこう面倒で、
ついつい後回しにしたくなって、
結果として作業を中断して逃避しがちになります。
ところが、作業のパートナーがいると、
どんどんと品物を手渡してくるので、
相手を待たせるわけにはいかないという自然な強制力が働き、
とにかく、その場でパッパと無理やり決断して、
しまうものはしまうし、
捨てるものは捨てるための箱に放り込んでしまう。
途中で休みたくなっても、
パートナーがせっせと品物を渡してくるので、
休もうと言い出すチャンスもなく、結局、黙々と作業してしまう。
相手に休憩を申し出て、許可をもらうという行動自体が
億劫だから、結果として仕事し続けちゃうわけだ。
そして、黙々とダンボール開封作業をやり続けていると、
だんだんとその作業にもリズムが出てきて、
ある種のトランス状態になり、
時間を忘れて黙々と作業し続ける状態ができあがる。
ダンボールがひとつずつ片付いていくのが快感になってくる。
仕事の効率を上げるためには
こういう緩やかな強制力を伴ったパートナーの存在というのは
ぼくみたいな怠け者かつ決断を億劫がって先延ばしにするタイプの人間には
とても重要だったりします。
1人でやった方が効率がいい仕事と、
複数でやったほうが効率がいい仕事というのは、
そうやって、確実に存在するよな。
今回、ぼくは他人のお引越しを手伝う側でした。
ぼくは決断作業担当ではなくて、
ひたすら、ダンボールをあけて、新聞紙をむく係だったので
ものすごく、楽でした。
自分の物を捨てるかどうかを決めるのは辛いけど、
「捨てるか捨てないか決めろ」
と他人に決断をただ迫るだけの役というのは
非常に気楽でいいですね(笑)
きっと、Mはぼくの無言の圧迫を受けて、
決断を連続的に迫られ続けたので
精神的にクタクタになったのではないかと思います。
でも、作業当日は、そんなところに配慮を見せると
作業が遅れて、結果的に後で本人が大変になるだろうから、
「俺がいるうちになるべく作業を進めておいたほうが、
あとで、楽なんじゃないの?」
などと血も涙もないことを言って、
疲れ果てたMに鞭打って、
作業を継続させていたのでありました。
M、お疲れ様(笑)
ああ、俺も自分の部屋を整理しなければ。
誰か、部屋掃除の鬼コーチ役をやってくれないだろうか。
1人でやると、すぐに本を読み始めてしまって
なかなか作業が続かないのですよ……
エリクソン読書会メンバー主体のお花見です。
メンバーが作って持ってきてくれた
お料理がおいしいお花見でした。
ありがとうございます!
来年もまたやりたい。やろう。
その後、友人Mのお引越し手伝い。
花見で遊んでからの参加で、
「遅い!」
と怒られたので(笑)、
少しはちゃんと仕事をしようと
荷物の運び込み作業終了後のダンボール開きを
せっせと手伝いました。
ぼくは、ダンボールを開いて、
お皿などをくるんだ新聞紙をはがして、
ひとつずつMに手渡す。
Mはそれを棚に収納していく。
こういう作業は1人でやると多分、5倍ぐらい時間がかかります。
なぜかというと、
「どこに収納すべきか?」
「この品物は捨てずにとっておくべきか、もう捨ててしまうか?」
そういうことをいちいち考え込んでしまうから。
その決断を下すまでに悩む時間がかかります。
また、そういう決断ってささいなことでもけっこう面倒で、
ついつい後回しにしたくなって、
結果として作業を中断して逃避しがちになります。
ところが、作業のパートナーがいると、
どんどんと品物を手渡してくるので、
相手を待たせるわけにはいかないという自然な強制力が働き、
とにかく、その場でパッパと無理やり決断して、
しまうものはしまうし、
捨てるものは捨てるための箱に放り込んでしまう。
途中で休みたくなっても、
パートナーがせっせと品物を渡してくるので、
休もうと言い出すチャンスもなく、結局、黙々と作業してしまう。
相手に休憩を申し出て、許可をもらうという行動自体が
億劫だから、結果として仕事し続けちゃうわけだ。
そして、黙々とダンボール開封作業をやり続けていると、
だんだんとその作業にもリズムが出てきて、
ある種のトランス状態になり、
時間を忘れて黙々と作業し続ける状態ができあがる。
ダンボールがひとつずつ片付いていくのが快感になってくる。
仕事の効率を上げるためには
こういう緩やかな強制力を伴ったパートナーの存在というのは
ぼくみたいな怠け者かつ決断を億劫がって先延ばしにするタイプの人間には
とても重要だったりします。
1人でやった方が効率がいい仕事と、
複数でやったほうが効率がいい仕事というのは、
そうやって、確実に存在するよな。
今回、ぼくは他人のお引越しを手伝う側でした。
ぼくは決断作業担当ではなくて、
ひたすら、ダンボールをあけて、新聞紙をむく係だったので
ものすごく、楽でした。
自分の物を捨てるかどうかを決めるのは辛いけど、
「捨てるか捨てないか決めろ」
と他人に決断をただ迫るだけの役というのは
非常に気楽でいいですね(笑)
きっと、Mはぼくの無言の圧迫を受けて、
決断を連続的に迫られ続けたので
精神的にクタクタになったのではないかと思います。
でも、作業当日は、そんなところに配慮を見せると
作業が遅れて、結果的に後で本人が大変になるだろうから、
「俺がいるうちになるべく作業を進めておいたほうが、
あとで、楽なんじゃないの?」
などと血も涙もないことを言って、
疲れ果てたMに鞭打って、
作業を継続させていたのでありました。
M、お疲れ様(笑)
ああ、俺も自分の部屋を整理しなければ。
誰か、部屋掃除の鬼コーチ役をやってくれないだろうか。
1人でやると、すぐに本を読み始めてしまって
なかなか作業が続かないのですよ……
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明日の催眠誘導講座では、
自分の催眠誘導を録画しておこうと思います。
今後、あんまりやる機会もないでしょうから。
その画像をいずれなにかに使えるかもしれないし。
そこで、デジタルビデオカメラを買おうと思います。
ネットであれこれ眺めてみたら、
どうも三洋のやつが、
コンパクトでよさそうですね。
自分の催眠誘導を録画しておこうと思います。
今後、あんまりやる機会もないでしょうから。
その画像をいずれなにかに使えるかもしれないし。
そこで、デジタルビデオカメラを買おうと思います。
ネットであれこれ眺めてみたら、
どうも三洋のやつが、
コンパクトでよさそうですね。
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先日、某カウンセラー夫妻と飲んでいて出た話題。
「イライラがたまる」「ストレスがたまる」
なんていう表現があります。
これって、「イライラ」とか「ストレス」を水とかみたいな
質量を持ったエネルギー体のように捉える表現です。
多分、整体とかヨガとか身体と心の相関関係を扱うようなジャンルの人たちや、
世間一般の人たちは、
こういう説明がしっくりくるんじゃないかと思います。
ぼくは、心を便宜上、エネルギー的、質量的に語ることはあっても、
どうも本質的にはあまりそのようには捉えていないらしい、と
その会話の中で気付きました。
毎晩、ダンナの帰りが遅い、
影でなにかコソコソやっている!
そうやって、日々、イライラを貯めている奥さんがいたとする。
イライラも限界、今日こそは深夜にコッソリ返ってくるダンナをつかまえて、
不満をぶちまけて、離婚届もつきつけてやる!
そう待ち構えているところに、
ダンナがちょっといびつな犬小屋を抱えて帰って来た。
「いや、今日はうちのポチを拾ってきて一周年だろ。
いつも、お前はポチをかわいがって世話をしてくれているのに
俺は、仕事が忙しくて散歩にすら、
なかなか連れて行ってやれないから、
せめて犬小屋ぐらいは作ってやろうと思って
会社の帰りに実家によって
大工道具を引っ張り出して作ってみてたんだ。
作り始めたはいいけど、完成しなかったら恥ずかしいし、
いきなり完成品を見せたほうが驚くかもと思って、
今まで黙って作っていたんだけど。」
そんな風に言われた瞬間、
ポチを我が子以上にかわいがっていた妻は、
そんな風にポチに愛情を注ぐダンナに対して、
今まで溜め込んでいた怒りとイライラは吹き飛んで、
喜びと愛情を強く感じるかもしれません。
このときって、質量的に「イライラ」を考えれば、
犬小屋を見せられ、夫の言葉を聞いている最中に、
キューっとイライラの水位が下がり、
「喜び」の水位がビューっと上がったということになります。
ぼくは、あまりそういう風には感覚的には捉えていません。
妻はダンナの隠密行動の目的と結果を知らされた瞬間に、
今までの「イライラ」がくるっと180度反転して、
「喜び」に変わったという感じの受け止め方です。
計算式みたいな感じ。
「夜コソコソ帰ってくる」という行動の理由が、
「浮気」によるものではなく、
「ポチと自分のため」によるものだったとわかったことが、
計算式で言う「−(マイナス)」の働きを持って、
掛け算される感じ。
いっきに、くるっと正反対の感情にひっくり返る。
このとき、ぼくは心を質量的に捉えるというよりは
極めて情報的、意味的、記号的に捉えています。
物理的な質量はないわけだ。そこに。
ナラティブセラピストなんかはどっちかというと、
こういう発想をどこかベースにもっていて、
相手の「しゃべり方」を変えてしまうと、
勝手に感情の持っていた意味・情報の質が変わってしまう、
と考えてるんじゃないのかな。
そして、こういう発想の出所は、
当然、グレゴリー・ベイトソン由来のものなわけですね。
「プレローマ」と「クレアトゥーラ」という概念を使って、
ベイトソンはそれを説明します。
プレローマとは、
ビリヤードボールをキューでつつくと、
その力を受けてボールが転がって、他のボールにぶつかる。
すると、そのぶつかったボールが衝撃を受け取って、
また、動き始める。
このような力と衝撃と質量の世界。
物理的世界。
クレアトゥーラとは、
差異をうむ差異が情報として伝達される世界。
携帯電話で会話をするとき、
僕らが受話器に対して発した声は、
空気の振動として受話器に伝わる。
その振動は電気信号として変換され、
今度は電波として飛んでいく。
途中、いくつかの受信局を経由して、
相手の携帯電話にその電波が受信されると、
再び、携帯電話は音声の振動の形に
情報を戻し、
それが携帯電話にくっつけた耳の鼓膜を振動させ、
それが、今度は脳内を走る微弱な電流に変換され、
聞いた人は相手のメッセージを受け取る。
途中でどのような素材を経て情報が伝わってきたとしても、
素材自体は情報の内容には関係がなくて、
情報自体は空気振動のパターンとか
電波のパターンとか、
物理的な形ではなくパターンとしてやり取りされる。
ある情報の差異が次の情報の差異を生み出し、
それが伝言ゲームのように伝えられていく。
人間の精神活動も
このように情報理論で扱うべきであって、
物理的に扱うべきではないというのが
ベイトソンの主張になります。
ぼくは、わりとその影響を知らず知らずのうちにモロに受けているので、
世間一般では当たり前とされる「心を物質的に扱う」という発想に
「ん?」
と一瞬、違和感を覚えるのでしょう。
リフレーミングなんていう作業も
精神活動を情報的、記号的、意味的に扱っているから
あんまり違和感なく使うんだろうな。
あとは単に自分がいわゆる「ストレス発散」とかが苦手だからかもしれない。
ストレスの原因となっている問題が
解決するなり、自分の中でどうでもよいものと感じられない限りは、
たとえ運動しようが、カラオケしようが、人と飲んで会話しようが、
あんまり「イライラ」度って変わらないんですよね。
なんかのきっかけで、
「ま、そんなことどうでもいっか。」
って思えたらその瞬間に一気に「イライラ」は消え去っちゃうけど。
あまり、「イライラ」とか「ストレス」を物理的、量的に感じることが
もともと多くないんですよね。
限界までガマンしてそこでキレる!とか。
こういうことも今後は少していねいに勉強しておかないといけないな。
感情の処理、ストレスの処理、みたいな問題。
実際問題として、ストレスがたまると
脳内伝達物質のほにゃららが増大し、
その状態では感情が不安定になり……
みたいな話であれば、
ある程度、物質的な問題として解決すべきだろうし。
まあ、まだよくその辺の詳しい仕組みはわかっていないというのが
現状なのではないかという気はしますが。
「イライラがたまる」「ストレスがたまる」
なんていう表現があります。
これって、「イライラ」とか「ストレス」を水とかみたいな
質量を持ったエネルギー体のように捉える表現です。
多分、整体とかヨガとか身体と心の相関関係を扱うようなジャンルの人たちや、
世間一般の人たちは、
こういう説明がしっくりくるんじゃないかと思います。
ぼくは、心を便宜上、エネルギー的、質量的に語ることはあっても、
どうも本質的にはあまりそのようには捉えていないらしい、と
その会話の中で気付きました。
毎晩、ダンナの帰りが遅い、
影でなにかコソコソやっている!
そうやって、日々、イライラを貯めている奥さんがいたとする。
イライラも限界、今日こそは深夜にコッソリ返ってくるダンナをつかまえて、
不満をぶちまけて、離婚届もつきつけてやる!
そう待ち構えているところに、
ダンナがちょっといびつな犬小屋を抱えて帰って来た。
「いや、今日はうちのポチを拾ってきて一周年だろ。
いつも、お前はポチをかわいがって世話をしてくれているのに
俺は、仕事が忙しくて散歩にすら、
なかなか連れて行ってやれないから、
せめて犬小屋ぐらいは作ってやろうと思って
会社の帰りに実家によって
大工道具を引っ張り出して作ってみてたんだ。
作り始めたはいいけど、完成しなかったら恥ずかしいし、
いきなり完成品を見せたほうが驚くかもと思って、
今まで黙って作っていたんだけど。」
そんな風に言われた瞬間、
ポチを我が子以上にかわいがっていた妻は、
そんな風にポチに愛情を注ぐダンナに対して、
今まで溜め込んでいた怒りとイライラは吹き飛んで、
喜びと愛情を強く感じるかもしれません。
このときって、質量的に「イライラ」を考えれば、
犬小屋を見せられ、夫の言葉を聞いている最中に、
キューっとイライラの水位が下がり、
「喜び」の水位がビューっと上がったということになります。
ぼくは、あまりそういう風には感覚的には捉えていません。
妻はダンナの隠密行動の目的と結果を知らされた瞬間に、
今までの「イライラ」がくるっと180度反転して、
「喜び」に変わったという感じの受け止め方です。
計算式みたいな感じ。
「夜コソコソ帰ってくる」という行動の理由が、
「浮気」によるものではなく、
「ポチと自分のため」によるものだったとわかったことが、
計算式で言う「−(マイナス)」の働きを持って、
掛け算される感じ。
いっきに、くるっと正反対の感情にひっくり返る。
このとき、ぼくは心を質量的に捉えるというよりは
極めて情報的、意味的、記号的に捉えています。
物理的な質量はないわけだ。そこに。
ナラティブセラピストなんかはどっちかというと、
こういう発想をどこかベースにもっていて、
相手の「しゃべり方」を変えてしまうと、
勝手に感情の持っていた意味・情報の質が変わってしまう、
と考えてるんじゃないのかな。
そして、こういう発想の出所は、
当然、グレゴリー・ベイトソン由来のものなわけですね。
「プレローマ」と「クレアトゥーラ」という概念を使って、
ベイトソンはそれを説明します。
プレローマとは、
ビリヤードボールをキューでつつくと、
その力を受けてボールが転がって、他のボールにぶつかる。
すると、そのぶつかったボールが衝撃を受け取って、
また、動き始める。
このような力と衝撃と質量の世界。
物理的世界。
クレアトゥーラとは、
差異をうむ差異が情報として伝達される世界。
携帯電話で会話をするとき、
僕らが受話器に対して発した声は、
空気の振動として受話器に伝わる。
その振動は電気信号として変換され、
今度は電波として飛んでいく。
途中、いくつかの受信局を経由して、
相手の携帯電話にその電波が受信されると、
再び、携帯電話は音声の振動の形に
情報を戻し、
それが携帯電話にくっつけた耳の鼓膜を振動させ、
それが、今度は脳内を走る微弱な電流に変換され、
聞いた人は相手のメッセージを受け取る。
途中でどのような素材を経て情報が伝わってきたとしても、
素材自体は情報の内容には関係がなくて、
情報自体は空気振動のパターンとか
電波のパターンとか、
物理的な形ではなくパターンとしてやり取りされる。
ある情報の差異が次の情報の差異を生み出し、
それが伝言ゲームのように伝えられていく。
人間の精神活動も
このように情報理論で扱うべきであって、
物理的に扱うべきではないというのが
ベイトソンの主張になります。
ぼくは、わりとその影響を知らず知らずのうちにモロに受けているので、
世間一般では当たり前とされる「心を物質的に扱う」という発想に
「ん?」
と一瞬、違和感を覚えるのでしょう。
リフレーミングなんていう作業も
精神活動を情報的、記号的、意味的に扱っているから
あんまり違和感なく使うんだろうな。
あとは単に自分がいわゆる「ストレス発散」とかが苦手だからかもしれない。
ストレスの原因となっている問題が
解決するなり、自分の中でどうでもよいものと感じられない限りは、
たとえ運動しようが、カラオケしようが、人と飲んで会話しようが、
あんまり「イライラ」度って変わらないんですよね。
なんかのきっかけで、
「ま、そんなことどうでもいっか。」
って思えたらその瞬間に一気に「イライラ」は消え去っちゃうけど。
あまり、「イライラ」とか「ストレス」を物理的、量的に感じることが
もともと多くないんですよね。
限界までガマンしてそこでキレる!とか。
こういうことも今後は少していねいに勉強しておかないといけないな。
感情の処理、ストレスの処理、みたいな問題。
実際問題として、ストレスがたまると
脳内伝達物質のほにゃららが増大し、
その状態では感情が不安定になり……
みたいな話であれば、
ある程度、物質的な問題として解決すべきだろうし。
まあ、まだよくその辺の詳しい仕組みはわかっていないというのが
現状なのではないかという気はしますが。
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今日、T氏と会話していて、
彼の元教え子の大学受験合否の話題になった。
どうやら、その教え子は第一志望に落ちたらしく、
その進路はあきらめたらしい。
そして、T氏はそのことに心を痛めているのか、心配しているのか、
その辺の心の機微はぼくにはよくはわからないのだけど、
その話題をたくさん話していたので、
多分、T氏にとっては重要な関心事だったのだと思う。
ぼくは受験産業に身を置いておきながら、
極端なまでに生徒の進路に興味がない。
勉強すれば受かるし、
勉強が足りなければ落ちるわけだけど、
別に受かった方がいいのか、
落ちた方がいいのかはぼくにはわからない。
進路が変われば出会う人も変わる。
環境も変わる。
世界に対する興味の持ち方も変わる。
すると、当然、結果として人生も変わる。
だから、進路の結果というのはそれぞれの人生に
大きな影響を与えるのだと思う。
その影響がいい方向への影響なのか、
悪い方向への影響なのかは、
実際のところはなかなか予想がつかない。
だから、あまり進路の結果に興味がないのだ。
T氏いわく、それは確かにそうなのだけど、
当人は合格したい、目指したいと思っていたわけだから、
その気持ちを考えると、
そこから立ち直れるだろうかと心配になる、とのこと。
そして、そこを心配してあげることで
今度、仮に彼に会う機会があったとしたら、
そのときの彼と自分との関係がよいものになるのだそうだ。
心の状態は言動に自然と表れるので、
これは確かにその通りなのだと思う。
でも、関係をよくとるために、
意図的にそのような心配する心の状態を作り出す、
という感覚ではないらしい。
これをT氏は「親心」と表現する。
確かにぼくにはこの「親心」メンタリティが激しく欠如している。
T氏とぼくの「親心」の有無について思いをめぐらしていて、
至った一つの結論。
やはりぼくは個人の意識とか感情とかいうものに、
あんまり重きをおいていないのだと思う。
個人の人間の意識だとか感情だとかを越えた
もっと大きな世界の流れや運命のようなものがあって、
人間はそれぞれそこに乗っかっている。
喜ぼうが、悲しもうが、まあ、とにかくにも、なるようになる。
そして、普通はそれがどのようになるかは予想できない。
激流をいかだで流されているのだけど、
先には大きな滝が待っているかもしれない。
でも、そんなこと考えていても役には立たないから、
とりあえず、目の前に迫ってくる岩をどうやって避けるか考えよう。
滝に落ちなくたって、岩に当たればいかだは壊れちゃうかもしれない。
「とにかく、やれることをやろう。
やれることに全ての思考エネルギーも行動エネルギーも投下しよう。」
というのがどうもぼくの発想らしい。
「相手に対して役立つ働きかけとはどのようなものだろうか?」
ということは、多分、普通の人よりも
相当しつこく(笑)ずーっと考えていられるんだけど、
「ああ、試験に落ちてしまってかわいそうに…」
とかはなかなか考えていられないのはそのせいみたい。
それはきっと、
「役立つものは素晴らしい。役立つものは美しい。」
という極めてプラグマティックな世界観に美学を見出しているからで、
つまるところは好みの問題なのだろうなとおもう。
いつでも
「どうやったら、この状況をなるべくプラスに活かせるだろうか?」
という風に考える癖があるから、
生徒が試験に落ちたと聞いたら、その瞬間から、
「試験に落ちたという状況をどのように活かすと
その子の今後の人生にプラスにつながるかな?」
って考え出してしまって、親心モードが発動する暇がないのではないか。
そんな風に考えた次第です。
世の中には親心モードを発動させられる人の方が多いだろうから、
ぼくは少数派として、
状況を利用する方法を考え、提案することに特化するのが、
世のため、人のためになる分業方法なのかもね。
彼の元教え子の大学受験合否の話題になった。
どうやら、その教え子は第一志望に落ちたらしく、
その進路はあきらめたらしい。
そして、T氏はそのことに心を痛めているのか、心配しているのか、
その辺の心の機微はぼくにはよくはわからないのだけど、
その話題をたくさん話していたので、
多分、T氏にとっては重要な関心事だったのだと思う。
ぼくは受験産業に身を置いておきながら、
極端なまでに生徒の進路に興味がない。
勉強すれば受かるし、
勉強が足りなければ落ちるわけだけど、
別に受かった方がいいのか、
落ちた方がいいのかはぼくにはわからない。
進路が変われば出会う人も変わる。
環境も変わる。
世界に対する興味の持ち方も変わる。
すると、当然、結果として人生も変わる。
だから、進路の結果というのはそれぞれの人生に
大きな影響を与えるのだと思う。
その影響がいい方向への影響なのか、
悪い方向への影響なのかは、
実際のところはなかなか予想がつかない。
だから、あまり進路の結果に興味がないのだ。
T氏いわく、それは確かにそうなのだけど、
当人は合格したい、目指したいと思っていたわけだから、
その気持ちを考えると、
そこから立ち直れるだろうかと心配になる、とのこと。
そして、そこを心配してあげることで
今度、仮に彼に会う機会があったとしたら、
そのときの彼と自分との関係がよいものになるのだそうだ。
心の状態は言動に自然と表れるので、
これは確かにその通りなのだと思う。
でも、関係をよくとるために、
意図的にそのような心配する心の状態を作り出す、
という感覚ではないらしい。
これをT氏は「親心」と表現する。
確かにぼくにはこの「親心」メンタリティが激しく欠如している。
T氏とぼくの「親心」の有無について思いをめぐらしていて、
至った一つの結論。
やはりぼくは個人の意識とか感情とかいうものに、
あんまり重きをおいていないのだと思う。
個人の人間の意識だとか感情だとかを越えた
もっと大きな世界の流れや運命のようなものがあって、
人間はそれぞれそこに乗っかっている。
喜ぼうが、悲しもうが、まあ、とにかくにも、なるようになる。
そして、普通はそれがどのようになるかは予想できない。
激流をいかだで流されているのだけど、
先には大きな滝が待っているかもしれない。
でも、そんなこと考えていても役には立たないから、
とりあえず、目の前に迫ってくる岩をどうやって避けるか考えよう。
滝に落ちなくたって、岩に当たればいかだは壊れちゃうかもしれない。
「とにかく、やれることをやろう。
やれることに全ての思考エネルギーも行動エネルギーも投下しよう。」
というのがどうもぼくの発想らしい。
「相手に対して役立つ働きかけとはどのようなものだろうか?」
ということは、多分、普通の人よりも
相当しつこく(笑)ずーっと考えていられるんだけど、
「ああ、試験に落ちてしまってかわいそうに…」
とかはなかなか考えていられないのはそのせいみたい。
それはきっと、
「役立つものは素晴らしい。役立つものは美しい。」
という極めてプラグマティックな世界観に美学を見出しているからで、
つまるところは好みの問題なのだろうなとおもう。
いつでも
「どうやったら、この状況をなるべくプラスに活かせるだろうか?」
という風に考える癖があるから、
生徒が試験に落ちたと聞いたら、その瞬間から、
「試験に落ちたという状況をどのように活かすと
その子の今後の人生にプラスにつながるかな?」
って考え出してしまって、親心モードが発動する暇がないのではないか。
そんな風に考えた次第です。
世の中には親心モードを発動させられる人の方が多いだろうから、
ぼくは少数派として、
状況を利用する方法を考え、提案することに特化するのが、
世のため、人のためになる分業方法なのかもね。
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先日、行った「第1回 無料教育相談 in Skype」の音声ファイルを
今、せっせとアップしています。
とりあえず、最初のイントロをアップしました。
http://www.voiceblog.jp/mentane/
(音声ファイルがリンク先にあります。)
いつも友人から、
「お前はいったい何の仕事をしてるんだ?」
と尋ねられて困っています。
最近は両親からも
「お前はいったい何の仕事をしてるんだ?」
と尋ねられて困っています。
これを聞いてもらえれば、
なにをやっているのか一目瞭然!
そういうわけで、ぼくのお父さん、お母さん、聴いて下さい。
ぼくはこういう仕事をしているのですよ!
で、だいたい反応の予想がつく。
母は、
「これって、私がいつも言ってることじゃないの。」
って、なにをいまさらってしたり顔できっと言うんです。
そりゃそうだよ。
そういう教育受けて育ってきた結果、
こういう人間になったわけで。
この講座の第2回目があります。
2008年04月07日(月曜日20時〜23時)です。
スカイプ無料教育講座 あまりに好評につき第二弾!!
http://mixi.jp/view_event.pl?id=29217757&comm_id=70575
から参加申し込みしてね。
mixi参加してない人は
toiawase@mentane.net
までメールしてください。
自分で言うのもなんですが、面白いです(笑)
パソコンとヘッドセットさえあれば、
パジャマでも参加できるので、お手軽です。
是非、みなさん参加してね。
今、せっせとアップしています。
とりあえず、最初のイントロをアップしました。
http://www.voiceblog.jp/mentane/
(音声ファイルがリンク先にあります。)
いつも友人から、
「お前はいったい何の仕事をしてるんだ?」
と尋ねられて困っています。
最近は両親からも
「お前はいったい何の仕事をしてるんだ?」
と尋ねられて困っています。
これを聞いてもらえれば、
なにをやっているのか一目瞭然!
そういうわけで、ぼくのお父さん、お母さん、聴いて下さい。
ぼくはこういう仕事をしているのですよ!
で、だいたい反応の予想がつく。
母は、
「これって、私がいつも言ってることじゃないの。」
って、なにをいまさらってしたり顔できっと言うんです。
そりゃそうだよ。
そういう教育受けて育ってきた結果、
こういう人間になったわけで。
この講座の第2回目があります。
2008年04月07日(月曜日20時〜23時)です。
スカイプ無料教育講座 あまりに好評につき第二弾!!
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から参加申し込みしてね。
mixi参加してない人は
toiawase@mentane.net
までメールしてください。
自分で言うのもなんですが、面白いです(笑)
パソコンとヘッドセットさえあれば、
パジャマでも参加できるので、お手軽です。
是非、みなさん参加してね。
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この前の日記の続き。
昨日の読書会のぼくのパートでは、
先日の無料教育講座ワークシートを配布し、
実際にその枠組みに沿って、
読書会のぼく以外のメンバーに
相談に乗ってもらうというのを
実験的にやってみてもらいました。
よくできた構造のワークシートなんで、
「これを使えば、誰でも簡単に問題解決!」
と、都合よくいくかどうかの確認ですね。
まあ、世の中、そうはうまくいかないのだけど。
そこで、判明したことが、
この前の日記で書いたことだったんです。
つまり、望みについて問う質問をしても、
クライアント側がその質問にストレートに答えないで、
関係ない答えを返して話がそれていくことがある。
そのようなときに、
それた相手の話を一度、上手に断ち切って、
もう一度、規定路線の上にのせなおす作業というのがあるのだけど、
そこが上手にできないみたいです。
それに対する京助の提案は、
「たとえば、○○という望みもあるだろうし、
△△という望みかもしれないけれども、
どのようなものですか?」
と、いくつか望みの具体例を出してあげる、というものでした。
これは、実際に効果的ですね。
ぼくもよく使う。
もう少し、ひねくれたやり方としては
わざと相手が考えていないであろう間違えた望みを
こちらが具体例として提示するというのもあります。
「ほうほう。お子さんがお母さんの言いなりになるように、
そういう子育ての仕方が上手にできればいいですかね?」
「いや、そうじゃないんです。
言いなりでは困るんですけど……
そうですね、悪いことは悪い、ときちんと理解してもらいたいんです。」
正しい具体例にせよ、間違えた具体例にせよ、
具体例を出すことによって、
このような形式の回答を待っていますよ、というメッセージを
相手にきちんと伝えることができる。
さらに、正しい具体例を出したときには、
「そうそう!そうなんです!」
と相手と自分との関係をより強化できる。
わざと間違えた具体例を出す効果は、
人間って間違えたものは思わず「訂正したい!」っていう気持ちが
強く働きますから、
訂正するためには正しい自分の望みを具体的に述べなければならない。
あまり、自分の望みをはっきりと語りたがらないようなクライアントに対して、
わざと突拍子もない変な望みをこちらが勘違いして出してあげれば、
それを正すために、思わず自分の具体的望みを述べてしまう。
わざと間違えるという種類のダブルバインドになってるわけです。
あと、悩みを語りたがる人たちは、
話の切れ目を作らず、
延々と話し続ける傾向がありますから、
相手の息継ぎのタイミングを見つけて、
そこにスパッと割って入らないといけない。
息を吸いながら話し続けられる人は
この世にいませんから、
相手が息を吸うタイミングでこちらは口をはさむわけです。
この辺も強引じゃない性格の人だと入るには入れない。
これはトレーニングでしょうね。
あとは、
「今まで色々うかがっているうちに、
いくつか質問したいことがでてきたんですけれども、
ちょっといいですか?」
と質問をさせてもらう許可を取る。
これも、相手の話をいったん断ち切るのに有効です。
いきなり、質問内容を述べるのではなくて、
質問してもいいかどうかを質問するというのがポイント。
「質問してもいいですか?」という問いに対しては
誰でもたいていはYESでかえします。
「いや、質問の前にとにかく私の話を聞いてください!」
って言い切る人は滅多にいません。
で、自分で、「はい。どうぞ。」と答えてしまった手前、
「無理やり話を断ち切られた!」という風にも感じない。
さらに、質問することを許可したということは、
なかば、それとセットにして、
質問に答えることも受け入れた、ということです。
だから、質問の内容にちゃんと答えてくれる可能性が
グンと高まります。
一体、そんな前置きをしてまでする質問ってなんだろう?
って相手の興味も悩み自体から、
質問の内容へとシフトしますから、
話題を変えるためのつなぎにはもってこいです。
とりあえず、話題をリセットするための技術として、
いくつか、思い当たるものを書いてみました。
大技として、
「すみません。ちょっとトイレいってきます!」
っていって、
戻ってきたら違う話題をするっていうのも
ありますけど(笑)
昨日の読書会のぼくのパートでは、
先日の無料教育講座ワークシートを配布し、
実際にその枠組みに沿って、
読書会のぼく以外のメンバーに
相談に乗ってもらうというのを
実験的にやってみてもらいました。
よくできた構造のワークシートなんで、
「これを使えば、誰でも簡単に問題解決!」
と、都合よくいくかどうかの確認ですね。
まあ、世の中、そうはうまくいかないのだけど。
そこで、判明したことが、
この前の日記で書いたことだったんです。
つまり、望みについて問う質問をしても、
クライアント側がその質問にストレートに答えないで、
関係ない答えを返して話がそれていくことがある。
そのようなときに、
それた相手の話を一度、上手に断ち切って、
もう一度、規定路線の上にのせなおす作業というのがあるのだけど、
そこが上手にできないみたいです。
それに対する京助の提案は、
「たとえば、○○という望みもあるだろうし、
△△という望みかもしれないけれども、
どのようなものですか?」
と、いくつか望みの具体例を出してあげる、というものでした。
これは、実際に効果的ですね。
ぼくもよく使う。
もう少し、ひねくれたやり方としては
わざと相手が考えていないであろう間違えた望みを
こちらが具体例として提示するというのもあります。
「ほうほう。お子さんがお母さんの言いなりになるように、
そういう子育ての仕方が上手にできればいいですかね?」
「いや、そうじゃないんです。
言いなりでは困るんですけど……
そうですね、悪いことは悪い、ときちんと理解してもらいたいんです。」
正しい具体例にせよ、間違えた具体例にせよ、
具体例を出すことによって、
このような形式の回答を待っていますよ、というメッセージを
相手にきちんと伝えることができる。
さらに、正しい具体例を出したときには、
「そうそう!そうなんです!」
と相手と自分との関係をより強化できる。
わざと間違えた具体例を出す効果は、
人間って間違えたものは思わず「訂正したい!」っていう気持ちが
強く働きますから、
訂正するためには正しい自分の望みを具体的に述べなければならない。
あまり、自分の望みをはっきりと語りたがらないようなクライアントに対して、
わざと突拍子もない変な望みをこちらが勘違いして出してあげれば、
それを正すために、思わず自分の具体的望みを述べてしまう。
わざと間違えるという種類のダブルバインドになってるわけです。
あと、悩みを語りたがる人たちは、
話の切れ目を作らず、
延々と話し続ける傾向がありますから、
相手の息継ぎのタイミングを見つけて、
そこにスパッと割って入らないといけない。
息を吸いながら話し続けられる人は
この世にいませんから、
相手が息を吸うタイミングでこちらは口をはさむわけです。
この辺も強引じゃない性格の人だと入るには入れない。
これはトレーニングでしょうね。
あとは、
「今まで色々うかがっているうちに、
いくつか質問したいことがでてきたんですけれども、
ちょっといいですか?」
と質問をさせてもらう許可を取る。
これも、相手の話をいったん断ち切るのに有効です。
いきなり、質問内容を述べるのではなくて、
質問してもいいかどうかを質問するというのがポイント。
「質問してもいいですか?」という問いに対しては
誰でもたいていはYESでかえします。
「いや、質問の前にとにかく私の話を聞いてください!」
って言い切る人は滅多にいません。
で、自分で、「はい。どうぞ。」と答えてしまった手前、
「無理やり話を断ち切られた!」という風にも感じない。
さらに、質問することを許可したということは、
なかば、それとセットにして、
質問に答えることも受け入れた、ということです。
だから、質問の内容にちゃんと答えてくれる可能性が
グンと高まります。
一体、そんな前置きをしてまでする質問ってなんだろう?
って相手の興味も悩み自体から、
質問の内容へとシフトしますから、
話題を変えるためのつなぎにはもってこいです。
とりあえず、話題をリセットするための技術として、
いくつか、思い当たるものを書いてみました。
大技として、
「すみません。ちょっとトイレいってきます!」
っていって、
戻ってきたら違う話題をするっていうのも
ありますけど(笑)
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